第百五十八夜 橋本夢道の「妻」の句

  無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 『無礼なる妻』

 「妻」を考えてみよう。

 私は長いこと、橋本夢道の〈無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ〉と、秋元不死男の〈火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり〉の句が渾然となって覚えていた。
 作品は、どちらも戦前の貧しかったが新婚時代の食卓の景である。夫は妻に「毎日こんなものを食わせるなんて」と俳句に詠みながらも、二人で食べている空気のあたたかさが伝わってくる。
 夢道の作品として覚えていたのは、「無礼なる妻よ」という呼びかけが、現代の妻の側からみれば、全くもって「無礼なる夫(つま)よ、妻に対して失礼な言い方ではないか」と思うからであった。

 私は、十七文字の定型と季題を入れて詠む有季定型派である。だが、無季や破調の作品に不思議な自由さを感じることがある。掲句は、八・四・七・四の二十三文字。妻に向かってぶつぶつ言っているのは、「君はまったく無礼な妻だなあ、毎日だぞ、料理と呼べないようなものを、夫である俺さまに食わせおって」という句意になろうか。
 
  妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね 『無類の妻』

 写真を見ると、夢道の妻はじつに美しくて可愛らしい。このように手放しで犬や猫を撫でながら呟いているように詠んだ作品は初めて見た。この表現技法は誰も今後二度と使えないとは思うが、とても新鮮に感じた。
 
  妻よ五十年吾と面白かつたと言いなさい 『無類の妻』

 夢道という人物は、古い時代の夫像とも言えないし、現代の夫像とも言えないけれど、この夫妻はとても仲の良い二人であったに違いない。妻の愛を信じていなければ「五十年吾と面白かつたと言いなさい」とは、強要できないだろうから。

 もう一つ夢道は、銀座甘味店「月ヶ瀬」で、共同経営者として「みつ豆」を考案して、人気店にしたという。宣伝用の俳句は、有季定型の〈蜜豆をギリシャの神は知らざりき〉であった。

 橋本夢道(はしもと・むどう)は、明治三十六年(1903)―昭和四十九年(1974)、徳島県藍住町生まれ。大正十二年、荻原井泉水の師事、「層雲」に投句。昭和五年、栗林一石路とともに「旗」を創刊。自由律の俳人として知られ、昭和九年には「俳句生活」を創刊、プロレタリア俳句運動の中心人物の一人として活動した。昭和十六年、新興俳句弾圧事件で検挙。出獄後は「層雲」に復帰する。獄中に〈大戦起るこの日のために獄をたまはる〉の句がある。戦後は「新俳句人連盟に参加。
 作品の特徴の一つは、口語体を生かした大きく包み込むような人間愛である。