第百五十九夜 石塚友二の「天の川」の句

  酔ひ諍ひ森閑戻る天の川 『石塚友二句集』

 掲句の背景を見てみる。
 
 石塚友二の、生活にのたうち酒なしではいられない若き日の作品は、他人事とは思えない辛さを感じる。書店に勤め、小説家志望で横光利一に師事し、沙羅書店という出版社を経営し、俳句にも邁進していた。

 私が友二に共感したのは、出版社を経営していた頃の作品である。
 〈金餓鬼となりしか蚊帳につぶやける〉の「金餓鬼」は資金繰りの辛さであろう。〈為替手に一瞬嗤ふマスク中〉の「為替」とは現金を送る代わりに、手形・小切手・証書などで金銭の受け渡しを済ませる方法で、その手形などの総称を言う。現金ではないけれど入金できた嬉しさが正直に出た作品である。
 〈酒欲しや雪の巷の夕づけば〉からは、出版という商売の厳しさを思う。出版社は、東販とか日販という取次を通して出版物を委託販売する。売れれば儲かるが、返品が多ければ入金は少ない。時折ベストセラーを出すことがあるから、出版は面白くて止められない。だが、原稿料、印刷代、倉庫代など諸々の支払いはある。夕闇の迫る頃には、お酒を飲まずにはいられないのだ。
 
 句意は次のようであろう。

 酔うにつれ本音が出て激しい言葉となる。愚痴は甘えかもしれない。相手によっては見事受け止めてくれるという酒飲み同士の機微もある。中七の「森閑戻る」によって場面は反転する。言い合いが終わると、虚しさやら反省やら、脳天から何かが引いてゆく。その鎮まった感覚が「森閑」であろう。空の天の川がうっすら見えている。
 季語「天の川」が下五に置かれ、酔いも諍いも収まり、穏やかさが生まれた。

 石塚友二(いしづか・ともじ)は、明治三十六年(1906)―昭和六十一年(1986)、新潟県北蒲原郡笹岡村生まれ。俳人、小説家、編集者。昭和十年、沙羅書店を設立、横光利一の『日輪』『覚書』、水原秋桜子の『葛飾』復刻版、石橋辰之助の『山行』、石田波郷の『石田波郷句集』など刊行。俳句は、当初秋桜子の「馬酔木」に投句。昭和十二年、石田波郷を主宰として創刊した「鶴」では発行編集者となり、波郷が応召された際には代選も務めた。昭和十六年、「鶴」の二代目主宰となる。日々の生活を題材とし、私小説的な世界がそのまま俳句となるような句境を開いた。

 吾子俳句を見てみよう。

  子が病めば百千の蟲啞の蟲
  主を頌(ほ)むるをさなが歌や十二月

 一句目、病気の子が、高熱にうなされて息も激しく苦しそうだ、看病する父は気が気でない。やがて子は少し落ち着いてきた。虫の音がひどく騒がしい。先程もきっとこんな風に鳴いていたのだろうが、虫の声は全く聞こえなかった。鳴いていた筈の「百千の蟲」も、まるで「啞の蟲」のようであった。子を心配する父の耳には、他のどんな音も入ってこない。
 二句目、私にも覚えている賛美歌がある。「イエスさま イエスさま わたくしたちを あなたの良い子に してください」という歌詞。十二月にはクリスマスがあって、家にいても、子は練習して歌っていたから、父もすっかり覚えてしまった。プロテスタント教会の賛美歌を「頌栄」と言い、「主を頌むる」歌である。