ブログを立ち上げた理由

 私は、平成十一年から平成十六年までの六年間、ささやかな新しい試みとして、週刊のインターネット上のメールマガジン「つれづれ俳句」(主宰・あらきみほ)を配信していました。
 当時経営していた出版社の蝸牛社ではその頃、テーマ別アンソロジー『秀句350選』、古今東西の俳人の作品と鑑賞による『蝸牛俳句文庫』、俳句と随筆による『俳句・背景』というシリーズを刊行しておりました。

 しかし俳句は季題があり省略された17文字なので、編集する上でもむつかしく、基礎を学びたいと思いました。近くのカルチャーセンターで偶然のようにしてお会いしたのが、「ホトトギス」主宰者高浜虚子の愛弟子である深見けん二先生でした。すぐに申し込み、先生の教室で学ぶことになり、師事することになりました。
 平成元年の4月でした。その後、俳誌「花鳥来」に入会し、虚子俳句、句集評、俳人論、俳句界の流れなど、多くの文章を書かせていただきました。
 そして今年の4月、平成の時代は終わりました。令和になって長いゴールデンウィークがあり、私はこれまでを振り返ってみました。

 深見けん二の結社「花鳥来」では、約20年間、編集委員をしておりました。「花鳥来」では、会員の皆が、俳句の鍛錬は勿論ですが文章の練習もさせてもらいました。私も、虚子研究会に加わったり、句集評、俳人論、俳句界の流れなど、多くの文章を書かせていただきました。
 私の俳句は現在、平成時代の30年と同じで句歴30年になっていたのです。

 ありがたいことに、師深見けん二が最も信頼する「若葉」の清崎敏郎主宰の弟子である笹目翆風氏が、主宰誌「鑛」に連載の機会を与えてくださいました。
 一回目の連載は「虚子をめぐる俳人たち」で三十一回。二回目の連載は「虚子と散文」で十五回。三回目の連載は「『五百五十句』を読む」で十九回です。

 私なりの形で、平成時代のケリをつけたいと思いました。長年書き散らしていたものを、再び打ち直すのは大変ですが、パソコンには当時のデータが纏めて保管されています。
 「つれづれ俳句」も、6年分の120回分のデータも保管されたままでした。
 
 書籍のデータ作りのノウハウは娘が持っておりますので、相談すると、電子書籍にしてみましょう、ということになりました。

 1巻 虚子と虚子をめぐる俳人たち
 2巻 虚子と散文
 3巻 虚子の『五百五十句』を読む
 4巻 つれづれ俳句

 まず、1巻目の「虚子と虚子をめぐる俳人たち」が出来上がりました。

 メールマガジン「つれづれ俳句」を閉めてから15年経ちました。今回、ブログ「Miho Haiku Note」として再び発信しようと思い立ちましたのは、これまでの文章を整理しながら、また書いてみたい、書き続けていたい、という気持ちになったからです。

 どうぞお立ち寄りくださって、間違いなど、ご指摘いただけましたら嬉しいです。