元となっている『五百五十句』鑑賞は、俳誌「鋼(あらがね)」に連載していたものだが、廃刊となり、昭和十一年から十五年までの内の十二年までしか鑑賞は仕上がっていない。『五百五十句』の半ばであるが、全句の鑑賞を試みるつもりなので通し番号を振ってある。
今回の「千夜千句」では、『五百五十句』中の代表的な作品のみとなるが、元の番号を付した。
鑑賞も句意も、できる限りは当時の資料に当たって作品の背後を調べたいと思いながら始めた。いずれ残りを書き続けたいと思っている。
一
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり
一月二日。武蔵大沢浄光寺。旭川歓迎会。
■この句の背景
浄光寺というのは、現在の埼玉県北越谷にあり、大正期から古梅園も併設した寺で、冬には、近くを流れる元荒川に鴨が飛んでくる。
旭川(きょくせん)は、神戸在住の医師で同人の皿井旭川のことで、おそらく新年の挨拶に上京した旭川を、浄光寺で吟行句会をして歓迎をしよう、となったのであろう。
虚子六十二歳の作。季題[鴨=冬]
■句意と鑑賞
「鴨の中の」……群れ騒ぐ鴨たち、その中の
「一つの鴨を」……一羽の鴨に心が留まり、
「見てゐたり」……ずっと見ていましたよ。
正月の参拝客や早梅の梅見客の賑わいをぬけて川辺に出た虚子は、群れている鴨を眺めていた。鴨のはね散らかす真冬の水しぶきは輝いている。羽搏つ鴨、潜る鴨、水脈を立ててゆく鴨、浮寝の鴨がいる。その中の一羽の鴨に目をとめた虚子は、その一羽の動きを追うかのようにずっと眺めていた。
特別な鴨というわけではなくても、なんとなく一つの鴨に目をとめて、見るともなく目は追いつづけて、ぼんやり時間が流れることはある。やがて我に返った虚子は、ずっと鴨を見ていたことに気づいた。
見ているけれど見ていない。とくに考え事をしているわけでもない。こうした時間が流れることは誰にもある。
明治三十六年に、河東碧梧桐の「温泉百句」の作品に対して、批判した虚子の「現今の俳句界」の最後の付言に興味深い俳句観が書かれている。
「今の俳壇に欠くる処はてかてか、なまなまの類が多くて底光りの少ない事である。(略)碧梧桐の句にも乏しいように思われて渇望に堪えない句は、単純なる事棒の如き句、重々しきこと石の如き句、無味なる事水の如き句、ボーッとした句、ヌーッとした句、ふぬけた句、まぬけた句等」
掲句がこの言葉に当てはまるかわからないが、最初に読んだ時に、何も言っていない句、意味をもたない句であることに、私は驚きつつ魅かれた。
「見る」と言わなくても、俳句では「鴨」と詠めば見ていることになる。
だが虚子は「見てゐたり=見ていましたよ」と、叙した。
すると、この鴨の池は、ゆったりと泳ぎ回る一羽の鴨と和服姿の初老の一人の男性だけに焦点が当てられ、ズームアップされ、他は消えてしまった。
俯瞰されたアングルが印象的な句となった。
鑑賞など要らない。
この句と一緒になって、ぼーっとしていればよいのだ。
想像の中で、鴨は様々の姿態を見せてくれるだろう。
初句は「鴨の中一つの鴨を見てゐたり」であったが、上五に助詞「の」を入れ、「鴨の中の」と六文字にした。この推敲で、「一つの鴨」がさらに際立った。