第百八十二夜 高浜虚子の「春潮」の句 『五百五十句』2

 五百五十句時代における、虚子自身の一番大きな出来事は、初めての欧州の旅である。
 虚子の渡欧は、数年前から勧められていたが、ようやく機が熟した。音楽留学でフランスに十年も滞在中の二男の友次郎を一度は訪ねたかったこと、ドイツ留学から戻ったばかりの高野素十に勧められたこと、ホトトギスの上ノ畑楠窓が日本郵船の箱根丸の機関長であること、同じくホトトギスの三菱地所社長の赤星水竹居が滞欧先の自動車の手配等を各地の三菱関係者にお願いしてくれたこと、虚子の世話も考えて六女の章子が同道してくれるなど、洋行に向けて、事態はとんとん拍子に運んできた。
 こうして、心もようやく決まった虚子は、〈古綿子著のみ著のまゝ鹿島立〉と、当時の一般的な洋行姿ではない羽織袴姿で、その下には「古綿子」も着ていましたよ、と詠んで平常心を表した句を詠んで、昭和十一年二月十六日から六月十五日までのおよそ百二十日間の旅の途に着いたのである。

  七
  我心春潮にありいざ行かむ
     二月十九日。神戸碇泊。花隅、吟松亭、関西同人句会に列席。

 ■この句の背景

 横浜を出航した箱根丸が次に碇泊したのは、神戸港である。
 吟松亭は、神戸花隅にある料亭。ここに関西近辺の同人たちが集い、虚子の初洋行を祝う関西同人句会に列席した。句会では、作家で俳人の佐藤紅緑と「ホトトギス」同人の佐藤肋骨からは洋行の注意を受けたり、歓談したり、寄せ書きをしたりした。
 寄港するどの町にも、こうして、虚子を出迎える多くの俳人たちがいた。
 虚子六十二歳の作。季題[春潮=春]

 ■句意と鑑賞

 「我心」……わたしの心は、
 「春潮にあり」……船が春潮に漂っているようなものである。
 「いざ行かむ」……さあ、渡欧の旅へ向かおう。

 旅行後に片づけるつもりで置き去りにしてきた仕事や、この旅に持ち込んできた雑詠選や原稿の仕事など、気にかかることは一杯あるが、それはそれだ。今は、この瀬戸内海の、干満の激しい、鳴門の渦のある、しかも美しい色合いを帯びた春潮に任せて、旅に出よう。
 虚子の心はつねに一歩前進する闘志を秘めている。季題「春潮」には、未知へ向かう、わくわくした喜びが感じられる。

 虚子の行く先々では必ず句会がある。虚子先生と句会を共にすることは連衆にとっては何より嬉しいことで、選をしてもらうことで何よりの勉強になる。
 虚子もまた、皆のその気持ちを知っているから、〈何をもて人日の客もてなさん〉の句のように、人が寄れば必ずのように句会をする。もてなす意味もあり、また、虚子自身も句会をすることによって作句のよい刺激を受けるからである。