第百八十三夜 今井 聖の「蚊帳」の句

 今日は母の日。戦後の昭和二十年生まれの私が「母の日」を知ったのは電車に乗って中学校に通い始めてからであったと記憶している。アメリカの「母の日」のことが、テレビで話題になっていた。都心の駅前の花屋さんやケーキ屋さんの前を通るとき、店はいつもより華やかであった。中学生のお小遣いは少なかったが、友だちに誘われてイチゴの載ったショートケーキを二つ、包んでリボンをかけてもらって帰宅した。祖母と母と私と、女三人で分けたことを覚えている。
 
 今井聖の作品は、「母の日」のことではなく、ふと想い出した遠き日の母の一コマである。伊藤敬子編著『秀句三五〇選34 母』を、編集作業に当たっていたとき惹かれて手を止めた一句である。
 
 鑑賞を試みてみよう。

  やわらかき母にぶつかる蚊帳の中 『北限』

 私には「やわらかき母」という思い出がない。戦後の子育ての日々、食べてゆく生活の大変さの中で、ともかく忙しく働いていた母であった。肺病になり長く入院し、手術して肋骨を何本か失くした母は、一人娘の私が甘えて近づいて触れようとすると、すーっと身を引くような気配を子ども心に感じていた。痩せて、背中に大きな手術痕があったから、母は見られたくなかっただろうし、辛かったのかもしれない。
 だから、私にとって「やはらかき母にぶつかる」は、想像するだけでも羨ましい光景なのだ。大きな蚊帳の中で親子一家が蒲団を並べていたのは昭和の半ば過ぎまでで、やがて、子ども部屋ができ、クーラーが入り、母のやわらかさに触れる機会はさらに少なくなった。
 
 父と違って母はやわらかい。肉体的なことだけではなく言葉もやわらかい。いつでも受け止め、どこからでも抱き止める用意のある包容力が、母なる力のやわらかさである。
 今井聖が大人になって帰省したとき、或いは母の病の知らせで帰省したとき、蚊帳の中に寝ている母に声をかけ肩に手をかけた瞬間であったのか、もう若くはない母親の、思いがけないやわらかさに驚いたのだ。「ぶつかる」の言葉から、触れてはいけない聖なるものに触れた作者の衝撃を感じる。
 だが、大人になって再び母のやわらかさに触れることが出来たことは、母からの何よりの贈物だと思う。

 今井聖(いまい・せい)は、昭和二十五年(1950)、新潟県生まれ。三歳より鳥取県米子市に育つ。明治学院大学卒業後、横浜高校教諭。俳句は十四歳の頃に始め、昭和四十六年、「寒雷」に入会、加藤楸邨に師事。昭和六十年、「寒雷」同人、編集長となる。平成八年、俳誌「街」を創刊主宰。平成二十九年、『言葉となればもう古し―加藤楸邨』で俳人協会評論賞を受賞。句集は、『北限』『谷間の家具』『バーベルに月乗せて』など。評論に、『秀句三五〇選3 旅』蝸牛社。自伝小説『ライク・ア・ローリングストーン 俳句少年漂流記』 岩波書店、『部活で俳句』 岩波ジュニア新書など。