第百八十六夜 高浜虚子の「シンガポール」での四句 『五百五十句』5

 シンガポールは、赤道に近いため一年中暑い。筆者の私は、八月に訪れたことがあるが、樹木は驚くほどの丈で鬱蒼として、自分の体温より暑さの中で、湿気と熱気をまとい通しだったことを覚えている。

  十一             ※番号が4つ続くのは、1日4句のため
  顔しかめ居る印度人町暑し
  十二
  著飾りて馬来(マレー)女の跣足かな
  十三
  裸なる印度ますらを幸きくあれ
  十四
  晩涼や火焔樹並木斯くは行く
     三月四日。新嘉坡著(シンガポール)。石田敬二、東森たつを来訪。次で三井物産支店長松本季三志夫妻、三菱商事支店長山口勝、宮地秀雄等来船。敬二東道の下に章子を帯同、一路自動車にて奥田彩坡経営の士乃(セナイ)の護謨園を訪ふ。横光利一同道。帰途タンジヨン・カトンの玉川ガーデン、敬二居等に立寄り、今日の吟行地植物園に下車。それより空葉居に一憩、新喜楽にて晩餐。この日は洋上句会の三回目。

 ■この句の背景

 シンガポールでは多くの在留日本人の虚子の門下たちがいる。虚子は、娘の章子や作家の横光利一と共に、ゴム園を見学し、玉川ガーデンへ行き、シンガポール植物園を吟行した。夜は、新喜楽で晩餐と俳句会があった。
 シンガポールは、マレー半島南端にある多くの島からなる島国で、マレー人、インド人、中国人(華僑)が住んでいる複合民族国家で、言語は英語とマレー語とタミール語と中国語である。宗教も祝日もそれぞれ故国に倣っている。この日はちょうどマレーシアの正月に当たるという。
 虚子一行が立ち寄った昭和十一年(一九三七)の頃のシンガポールはイギリス領で、その後、第二次世界大戦中は日本の領土であった。
 虚子六十三歳の作。

 ■句意と鑑賞

 十一 
 「顔しかめ居る」……眉毛と眼窩の位置からか、しかめっ面をしているようにも見える。
 「印度人」……これがインド人の顔の特徴であろうか。
 「町暑し」……それにしてもこの町は暑いことだ。
 季題[暑さ=夏]

 十二
 「著飾りて」……晴着には、色とりどりの色彩の民族服を着ている。首や腕にアクセサリーをいっぱい付ける。今日は、暦の上でマレーシアの正月らしい。
 「馬来(マレー)女の」……こんなに美しく着飾っているのに、マレー人の女性の足許を見て驚いた。
 「跣足(はだし)かな」……なんにも履いていない。裸足なのだ。
 季題[跣足=夏]

 十三
 「裸なる」……女性たちは着飾っているのに、男性は上半身裸ですよ、
 「印度ますらを」……インド人の男たちは鍛えた肉体が晴着なのだ。
 「幸きくあれ」……正月を祝っている人びとに幸多かれと祈る。
 季題[裸=夏]

 十四
 「晩涼や」……夏の終わりのような涼しさだ。
 「火焔樹並木」……焔を噴き出したような真っ赤な南国的なカエンジュの花の並木が、
 「斯くは行く」……このように続いている中を、私たちは歩いている。
 季題[涼し=夏]

 ■シンガポール、シンガポール植物園

 虚子一行の訪れたシンガポール植物園は、イギリスの領土であった。その後、日本領土となった昭和十七年には管理もイギリス人から日本人に替わったが、日本人の新園長は前任者のイギリス人を捕虜扱いはせずに、ともに植物園の文化財を守った。
 後に、前園長であった植物学者のコーナー博士は、当時の副園長であり植物学者の渡辺清彦博士と二人で共同で『図説熱帯植物集成』を完成させている。たまたま、その渡辺博士の息女星川和子さんのエッセイ集の編集に携わったことがあって、私の手元には、戴いた貴重な『図説熱帯植物集成』の一冊がある。

 マレー半島は熱帯植物の宝庫だから、虚子は珍しい植物に出逢えたであろう。『渡仏日記』には、三倍もの高さのヤシの木の下で撮った虚子の写真がある。写真の下に〈coco de meer〉とあったので『図説熱帯植物集成』で調べてみると、さらに高木になる椰子で、珍しい形の実をつける「オオミヤシ」であった。