第百九十五夜 坪内稔典「船団」の最終号前夜

 坪内稔典さんには、まだ元気だった頃の出版社蝸牛社では、俳句背景シリーズの『縮む母』の著者、『一億人のための辞世の句』全3巻の編著者、また「船団の会」の若い俳人の「七つの帆」コレクションの7冊の句集出版など、様々にお世話になってきた。
 そうした中で、私は稔典さんの俳句に魅かれていった。高浜虚子の最晩年の弟子の深見けん二師の「花鳥来」に所属していながら、「船団の会」でも現代俳句の最先端の感性をいつか学びたいと思い、多分、この気持はお伝えしていたように記憶している。
 しかし、虚子俳句は学ぶにつれて奥が深く、自然の奥は深くなるばかりで、あれから20年経つことになるが、一向に一段落はつかないまま日が過ぎていった。
 この度、「千夜千句」というブログを立ち上げた。これまで蝸牛社時代に出会った俳人たち、深見先生に指導されながら俳句界全般に渡って広く書く機会を与えられて知った俳人たちの俳句について綴っている。
 
 仕事上、多くの俳句に触れてきているけれど、好きな作品でも、作者が何を言おうとしているのか句意の読み取れない作品ばかりであることに気づいていた。たった17文字なのに、絡まった糸をほぐしてゆくと、広く深い世界に迷うことがある。
 偶然のように、だが、私の人生で出会った素晴らしい俳人や俳句作品である。忘れてしまわない内に、書き留めて置こうと思ったのがブログのきっかけであった。
 
 「船団の会」の塩見恵介さんの『虹の種』の紹介をしようと、頂いている最新号の「船団」第123号と124号を手に取った。すると、あとがきに次回の125号が最終号であると書いてあるではないか。驚いてしまった。
 「船団」の店じまいに「散在」という言葉を使おうとしている。皆様、私よりもお若いのになあ! きっと、今後はお一人お一人が一人乗りのヨットに乗って帆を上げるのであろう。
 
 今宵は、124号の特集「俳句史の先端」の中の座談会に触れてみたいと思う。
 
 宇多喜代子(うだ・きよこ)は、「草苑」編集長、現代俳句協会特別顧問。坪内稔典(つぼうち・ねんてん)は、「船団の会」代表。木村和也(きむら・かずや)は「船団の会」会員。この三者による会談のタイトルは「俳句史の先端」。
 私はタイトルの「先端」に惹かれるように、だが、おそるおそる読み進んでいった。
 そして、一つ一つ合点していった。
 
 1・文学史、俳句史、表現史の流れを、見通し知っておくことの大切。
 2・高浜虚子のこと。
 「〈爛々と昼の星見え菌生え〉など虚子は幅が広い。」と、稔典。
 「これは前衛俳句ですよ。金子兜太が晩年にうまくも言ったのは、俳句で本当に面白いのは、ホトトギス主観派だな」と、喜代子。
 「虚子そのものは主観的な人で、僕が興味を持っているのは、異常な人。虚子ってやや「狂」って言ったらいいのかな、惹かれるんですね、そういう破滅型に。自分の中にそういう要素があるんでしょうね。その流れで杉田久女にも魅かれてゆく。(略)虚子はもう、文学です。」と、稔典。
 
 このような言い方で聞くのは初めてではあるが、高浜虚子が偉大な俳人であり文学者であると言ったことに感動し、俳句史の流れからいうと正反対だと思っていた坪内稔典と宇多喜代子の両氏の言葉であることが嬉しかった。
 
 「俳人は、やっぱり俳句史から学ぶものって大きいな、とは思う。」と、稔典。
 「私は、社会問題も俳句も『過去は未来』と思うのよ。俳句の未来は過去。」と、喜代子。
 
 随分と省略してしまったが、俳句界をリードしてこられた含蓄のある話は広くて深かった。ありがとうございました。