第百九十六夜 塩見恵介の「月めく」の句

 第一句集『虹の種』は、俳句を始めた19歳から28歳までの10年間の作品であり、その間には震災、大学、大学院卒業、就職、結婚があり、長男誕生のこの春に『虹の種』の刊行となった。

 鑑賞を試みてみよう。

  息継いで母は月めく子守歌

 この句は、どんな情景であろうかと考えた。母を見上げて子守歌を聞いているのは、母に抱かれた赤ん坊であった作者であると、そう思い到ったとき納得した。
 胎内にいるときから赤ん坊は既に、記憶していることがあるという。無心に抱かれお乳を呑んでいるように見える赤ん坊に、記憶していることがあると考えると、二児の母として「ステキな母の姿」を、私は見せただろうかと不安になる。

 赤ん坊を横抱きにゆったりと抱いて子守歌を歌いながら、母は子を寝かしつけようとしている。子守歌はいつまでも続き、時折、母は息継ぎをするのだが、歌のリズムがちょっと崩れる。子は母のそんな少しの身体の動きも子は見逃さない。眠りかけたように見えた子がうっすら目を開ける。
 「もう少しだったのに・・!」
 などと思って、じゃけんに子を抱き直したりしてはいけない。ここはもう一息! 優しい微笑みを浮かべて、優しく抱いて、もう一度、子守歌を歌ってあげよう。赤ん坊は、母の優しさをじっと見ているのだから。

 母の息継ぎの身体の動きにうっすら目を開けた赤ん坊は、母の横顔を見た。そのときの何とも言えず優しい横顔のシルエットが記憶となって、母を「月めく」と感じたのだ。
 「息継いで」という幽かな動作を現す言葉を一句に入れたことによって、母の優しさが記憶となるのであろう。
 季語を大切に、季語の力を信じている私としては、「月めく」が季語であると、一瞬であっても思ってしまう。だが、「月」という季語の本質を考えると、この母に、優しさだけでなく、清澄さ、凛々しさまで感じることができて、いつの間にか「母」は慈母観音のように、聖母マリアのようになってゆく。
 
 現代俳句の最前線をゆく「船団の会」に学ぶ塩見さんは、こんな言い方はお嫌いかもしれないが、「季語が効いている」作品づくりをされていると感じた。
 いくつか紹介させていただこう。
 
  キャンディを谷に落とせば虹の種
  いつよりかわあんと泣かず鰯雲
  先生の化粧とあるく夏木立
  
 一句目、「虹の種」という造語も詩的だが、やはり季語「虹」の力のように思う。
 二句目、まさに「鰯雲」である。空いっぱいに拡がる鰯雲の鱗は一枚一枚が同じ大きさで等間隔。静かにずんずん迫ってくる。「わあんと泣かず」が上手い措辞で、いつかしら悲しみを静かに対処するようになった「少年」を感じた。「わあんと」という生な言葉もリズムとなって効果的。
 三句目、遠足の小学生高学年か中学生であろうか。夏木立の中を若い女の先生と並んで歩いている。お化粧が濃いというわけでもないのだが、生徒は幽かな化粧の匂いが気になってしょうがない。大好きな先生の話も少し上の空で聞く。「先生の化粧とあるく」が少年らしい感性であり、季語「夏木立」が爽やかさと緑の世界に秘めた妖しさを合わせた青春性を感じる。

 塩見恵介(しおみ・けいすけ)は、昭和46(1971)年、大阪府生まれ、兵庫県芦屋市育ち。平成2年、19歳より稔典氏の許で句作開始。文学修士(専攻・近現代俳句)。平成26年より「船団の会」副代表。平成8年、甲南大学大学院人文科学研究科修士課程修了。同年より甲南中学校・高等学校国語科教諭。平成16年、第7回俳句甲子園にて甲南高校監督として優勝に導く。句集『虹の種』(2000年 蝸牛新社)、『泉こぽ』(2007年 ふらんす堂)。