第百九十八夜 あらきみほの「立夏の月」の句

 月を眺めることが大好きである。満月の出は早いし、夫は、この時間帯は既に晩酌の一杯が入っているから月見の誘いに応じてくれない。黒のラブラドールレトリバーの一代目のオペラを番犬として、人っ子一人いない牛久沼の月見のポイントや、筑波山の東側まで月の出を見に行っていた。おとなしい犬種だが、黒い大型犬は十分怖そうに見える。
 二代目のノエルは車の中でもはしゃぎまわり、他人にも構うので、吟行ドライブのお伴にはならない。
 
 今年の立夏は5月5日、連休中だがコロナ禍の緊急事態宣言中であった。だが、5月の満月はアメリカでは「フラワームーン」と呼ばれる美しい月。一人で出かけることにした。茨城県の田植えは他県と比べるとすこし早いようで、もう代田であったり早苗が植えられたばかりの田んぼからは、蛙の鳴き声がそれは姦しい。筑波山へは、両側が田んぼというほどの田んぼ道である。
 
 もう10年以上も前になるが、筑波山神社の登山道正面鳥居付近にある「筑波山神社 萬葉公園」へ俳句の仲間と吟行したことがある。登山道を下りながらゆくと歌碑がぽつんぽつんと建っていて、よいハイキングコースとなっている。私は短歌には詳しくはないが、吟行へ行く前には、万葉集の中の筑波山を詠んだ歌人のことを調べ、その折に、京の都から遠く、箱根より更に東国の集い「歌垣(うたがき)」ともいう「嬥歌(かがい)」が行われていたことを知った。
 男女が集い、飲食をし歌も詠み、男女の営みもあるおおらかな集いであったことも伝えられている。年に一度の祭りであり、人々の発散の場であった。筑波山は男峰と女峰があり、筑波山から南流しつくば市で桜川 (茨城県南部)に注ぐ川に、男女川(みなのがわ)という名の川もあり、歌枕にもなっている。
 
 立夏の月見はこのような、沸き立つような賑やかな蛙の声に浮かぶ美しい月であった。
 
 いくつか、俳句を紹介させていただく。

  森があり立夏の月のはるけしや
  
 「はるけしや」は、無論、宇宙の中にある遠い存在ではあることは知っている。しかし、一と月のうち全く見えない日は少なく、目に見える形の月は26日ほどもある。太陽とは違うけれど、月が好きな私には、月の優しさに守られているような気持ちがある。
  
  蟇の夜フラワームーンを称へけり

 この日の夏満月は、まさに賑々しく鳴く蛙によって褒め称えられているようであった。また〈夜の田や蛙のこゑのジャズ奏づ〉のようにも聞こえた。

  歌垣も蛙のこゑも男女川(みなのがわ)

 筑波山に近づいた。蛙の鳴き声は、雄が雌への求愛の声だという。〈あをがへる夜の喧騒は恋なのか〉と詠んだとき、歌垣を想い、男女川を思い出した。
 茨城県に東京から転居したばかりの頃に、車で15分ほど北上すると牛久沼があることを知った。あやめ池の端っこに大きな蝌蚪の紐を見つけるや、蝌蚪の紐が解けてお玉杓子になるまで、10日ほどは通ったと思う。

 ホトトギスの代表作家であり、境涯句の村上鬼城といわれる作品中には、次のような楽しい句にも出会う。
  川底に蝌蚪の大国ありにけり 『鬼城句集』
 春、小川や沼や池の隅に見かける蛇のトグロのような寒天状の気味悪い物体が蝌蚪の紐という蛙の玉子。その蝌蚪の紐から孵った何百何千万匹ものお玉杓子の尻尾が黒い塊りとなってひらひらしている景が「蝌蚪の大国」だ。
 手足が出た蛙の子がある日一団で夜逃げする不思議を、「造化のする仕事に、一として、不思議でないものはない」と、メーテルリンクも、詩で一番大事なものは不思議ということだと言ったと、鬼城の「寂寞山荘夜話」の文中に書いている。