第二百夜 高浜虚子の「流れ星」の句

 終戦になった昭和20年に小説家の大仏次郎が、まだ疎開していた小諸の虚子を訪ねてきた。「朝日新聞の東京版に俳句を募集することにしようと思うのだが、その選をしてくれないか。」といった話だった。後に、募集句に評を加え、小俳話を合わせて載せることになった。
 その俳話を集めたものが、昭和33年、東都書房刊『虚子俳話』である。二冊本であったが、昭和60年にホトトギス社から一冊本が出されている。

 天地有情(一)に、また触れてみたくなった。
 
 天地有情といふ。(科学は関せず)
 天地万物にも人間の如き情がある。
 日月星辰にも情がある。
 禽獣蟲魚にも情がある。
 木石にも情がある。
 畢竟人間の情を天地万物禽獣木石に情を感ずる。
 詩人(俳人)は天地万物禽獣木石に情を感ずる。
 子規も嘗つてかういふことを言つた。「人間は嫌ひだ。こちらが十の情を以て対しても人は十の情を以ては応へない。草木禽獣の類は、こちらが十の情を以て対せば十の情を以て応へる。草木花鳥の類は好きだ」と。
 天地有情といふ。(遠き未来には科学もまたこれを認めるかもしれぬ)
 
 次の7句は、昭和30年9月9日の物芽会に投句した作品。当日の「句日記」には、流れ星の句が10句が詠まれている。
 
  1・流れ星はるかに遠き空のこと
  2・流れ星ものの命と消えにけり
  3・流れ星こはしと云ひし人は亡し
  4・東西南北星の流るゝ夜なりけり
  5・白帝城高うして流れ星低し
  6・生命といふもの妖し星流る
  7・星流る空凄艶といふ感じ
  
 1と4は、写生句。
 2は、「七百五十句」集中の〈星一つ命燃えつゝ流れけり〉へ推敲したと思われる。
 3と6は、流れ星は死を思わせ、子規忌が近いこともあって、命の脆さ儚さを思っての句であろう。
 5は、杜甫や李白も詩に詠んだ白帝城である。
 7は、「凄艶」を「清艶」に推敲し、〈大空の清艶にして流れ星〉として、9月11日の草樹会へ出した作品。
 
  大空の清艶にして流れ星 「七百五十句」
  
 掲句は、昭和30年、虚子81歳の作。
 句意は、「晴れわたった清らかで艶やかと形容したいほどの、清艶な夜空から、流れ星が落ちましたよ。」となろうか。

 流れ星は宇宙の一現象であるが、虚子の花鳥諷詠詩の考えは、例えば、冬日であっても、桜の花であっても、鳥の声であっても、天地万物禽獣木石を存問する人間に対して、必ずのように、天地万物の方から情を以て応えてくれるという。
 「花鳥来」主宰の深見けん二師は、そのことを「写生を重ねていく中で、授かったとしか言いようのないものを、言葉として授かることがある」と仰っている。
 
 この作品の「清艶」が、岩波書店刊『虚子五句集』では「青艶」となっている。しかし東都書房の『虚子俳話』の見返しの影印、『虚子百句』の虚子の自選自筆句にも「清艶」となっていることから、虚子没後に作られた高浜年尾・星野立子選の「七百五十句」の過程で誤植が生じたものと思われる。
 今回、「花鳥来」の有志で「七百五十句」研究をした折に、集めた古本や交換したり頂いた本を出して、調べることができた。