稲田眸子さんの第二句集『絆』(花神社刊)から、夏の作品を紹介させていただこうと思う。
まくなぎの無数の影を薙ぎ払ふ
平成4年、蝸牛社のテーマ別アンソロジーの31巻『秀句三五〇選 影』の編著者としてお会いした稲田眸子さんは、当時はまだ30代後半というお若い方であった。編集では「影」の句を集めて鳥獣・樹木・自然・人間という副題ごとに分類する大変さがあり、鑑賞では「影」の表情を探るご苦労があったであろうと、今、読み返しながら改めて感じている。
掲句は、稲田眸子さんの「影」の作品である。
私も「影」を考えてみよう。
「まくなぎ」は、人の顔などにまつわりつく小さな羽虫。人の目の中へも入り込むので「めまとい」ともいわれる。 風のない日の夕暮れどきに野道や河原、林などに出てくる。夏の吟行ではしばしば出会う「まくなぎ」の群れは、煙のように現れてまといつく。その「無数の影」とは、群れとなった煙のような「まくなぎ」の、一塊の影ということだろうか。作者は、追い払おうと、勢いよく薙ぎ払った。
「まくなぎ」の一匹は小虫だから影を捉えることができないだろうが、「まくなぎの無数の影」ならば、手応えは微かではあるが、薙ぎ払うことはできた。
『絆』のあとがきには、創刊3年目となる俳誌「少年」に触れて、「〈有季定型のときめき〉〈自然随順のやすらぎ〉〈切磋琢磨のよろこび〉を信条とし、進んでまいりました。」と書かれている。
もう少し、紹介させていただく。
夏帽子麒麟のごとく塀を過ぐ
塀に沿って歩いている人を、たとえば、縁側から眺めていると、垣根の向こう側には大きな夏帽子だけがすーっと動いて見えた。少し茶色がかった黄色の麦藁帽子かもしれないが、動いてゆくのは麒麟の首であると思った。
縁側で昼寝をしていたときに、夢でも見ているように、麒麟に見えたのだろう。
しかし、こう感じ取れるのは少年の心をもつ稲田眸子さんならではのファンタジーだからである。
毛虫焼く火のよろよろとたち上がる
梅の木に毛虫が湧く時期になると、母でなく明治生まれの祖母が、枝を棒で突いて毛虫を地面に振り落とし、木屑や新聞紙と一緒に燃やしていたことを覚えている。火の中の毛虫は立ち上がってゆらゆらしていた。梅のいのちと毛虫のいのち、毛虫は確かに梅の木を食い荒らすけど・・生きているものが目の前で焼かれるのは見ていて悲しかった。
空蟬にまた夜が来て朝が来て
空蟬は、蟬の抜け殻。蟬は地中にいて木の根から汁を吸って10年近く過ごした後、多くは木の幹で薄皮を脱ぐ。残された薄皮が「空蟬」である。しっかりしがみついた蟬の形のまま幹に残されている空蟬・・目も脚もある。蟬が飛び立った直後は、空蟬は濡れていた。翌朝はもう濡れてはいなかったが、しばらくすると、空蟬はもう地面に落ちていた。
「また夜が来て朝が来て」という言葉に感じる、空蟬に心をよせている時間の長さが、いいなと思った。
稲田眸子(いなだ・ぼうし)は、昭和29年(1954)、愛媛県の生まれ。昭和49年20歳で倉田紘文に師事、俳誌「蕗」入会。昭和59年、第一句集『風の扉』を刊行。平成9年、俳誌「少年」を創刊主宰。昭和59年、アンソロジー『現代俳句の精鋭』に入集。共同執筆『高野素十の世界』、編著『秀句三五〇選 影』など。