第二百三夜 加藤耕子の「かはほり(蝙蝠)」の句

 加藤耕子さんは、俳誌「耕」とともに英文俳句雑誌「Ko」の主宰を続けてこられているが、「Ko」に載せた日本語の俳句を英語に翻訳されたものが、アメリカやカナダで好評を博しているという。
 今回、『花神 現代俳句 加藤耕子』を久しぶりに読ませていただいたので、紹介させていただこう。

  かはほりやこをとろことろ露地暮るる 『尾張図會』

 「かはほり」は蝙蝠のこと。夜行性で夕方近くに飛んでいる姿を見かける。鬼ごっこ遊びの歌詞の「こをとろことろ」とは「子を捕ろ 子捕ろ」で、捕まえて連れ去ってしまうぞ、という怖い意味がある。蝙蝠の飛ぶころ、夕暮れどきは、怖い人がきてどこかへ連れていくのだから、早くお家に帰りなさい、と、脅かしながらしつけようというわらべ唄だ。
 「かはほりやこをとろことろ」までを平仮名にしたことで、「かわたれどき(彼は誰時)」という夕暮れの怖さが深まる。

  鵜篝の百の緋文字をしたたらす 『尾張図會』
  
 「緋文字」という言葉を入れたことで「鵜篝」を遊びの世界から、アメリカ文学の、ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』の世界を感じさせる作品になったのではないだろうか。
 私が、大学時代にいちばん魅かれた作家であるが、アメリカへ新天地を求めてやってきたイギリスのピューリタンの細かい部分は忘れている。タイトルの『緋文字』は「adultery =密通、不義」という意味。不倫の罪を犯した女主人公は、裁判にかけられ、赤い大文字「A」を一生、胸に縫い付けておかねばならない厳罰を受けた。
 鵜飼とは、篝火が赤々と燃えるなかで、首をゆるく絞められた手綱のままに、潜っては鮎を捕まえ、吐き出す漁である。
 鵜篝から緋文字への飛躍はわかりにくいようでいて、ある種の哀しみが湧いてくるようでもあった。

  山あひの星ひびきあふ芹の水 『春の雲』

 山間に自生している芹を見つけた。芹は湿地や小川などの水際に生えている。きっと作者のよく通る道かもしれない。夜には、小川の水に星が瞬いているではないか。芹は清らかな水に生えるものなので、水に映った星と芹はまるで響き合っているように見えた。

  少年の眉堅香子に触れゐたり 『春の雪』
  
 堅香子(かたかご)はカタクリの花の古名。カタクリの花は、花びらを後ろに反るようにして咲くが、下向きに咲いているから蕊は見えない。カタクリの時期に雑木林に行くと、カメラを抱えて地面に寝転がって、カタクリの花を下から撮ろうとしている人がいる。この少年も、何とかして覗こうとして眉が堅香子に触れてしまったのだろう。

 加藤耕子(かとう・こうこ)は、昭和6年(1931)、京都市生まれ。俳句は「馬酔木」系の加藤晴彦、朝倉和江に師事。昭和61年、俳句と文章誌「耕」、英文誌「Ko」を創刊主宰。 俳句協会評議員、国際俳句交流協会理事クロアチア俳句協会表彰。 昭和63年、文部大臣表彰。 平成13年 、愛知県芸術文化選奨(文化賞)受賞。句集は『稜線』『尾張図會』『春の雲』、編著『秀句三五〇選 日』(蝸牛社)』、加藤耕子英訳句集『A First Bird Singing 』を英国で刊行。