第二百六夜 伊丹三樹彦の「落芙蓉」の句

 今宵は、『伊丹三樹彦全句集』から、第5句集『夢見沙羅』の花の作品を紹介してみよう。全句集を、久しぶりに読み返してみると、第一句集『仏恋』、第二句集『人中』の作品は「分ち書き」ではなかった。
 あとがきに、「俳句を人間採集の詩と心得る」僕が、意外や意外、「俳句を花葉採集の詩とも心得る」家集をここに編もうとは、全くのところ、皮肉の所業というほかない、と書いたように、『夢見沙羅』には(花恋句集)という副題があり、私も好きな花の句ばかりであった。
 三樹彦氏の特長である「分ち書き」を考えてみたいと思っている。

  落芙蓉すうっと 終章いそがねば 

 「芙蓉」は秋の花。白芙蓉、紅芙蓉、酔芙蓉などがあり、朝方に咲いて夕方には閉じてしまう一日花である。「落芙蓉」は、地に落ちてしまった芙蓉であろう、薄い花びらはくしゃっと丸まって地にある。
 「落芙蓉すうっと」とここまで詠んで、一拍のアキが入る。次は「終章いそがねば」である。この一文字分の間のなかで、人は、大輪の花の芙蓉が咲いて落ちるまでの嫋やかで艶やかな、だが、半日という短い花の命の時間に思いを馳せるのかもしれない。
 俳誌「青玄」の扉には、エピグラムめいた三樹彦氏の「青玄前記」が書かれている。例えば、「俳句の分ち書きは/音楽の休止音符に/似る/声なき声/音なき声」と。分ち書きの妙である。
 「終章いそがねば」はどのように考えようか。人の命は芙蓉にくらべれば長いけれど、終章は誰にも訪れる。小説でも音楽でも「最終章」は、どれだけ心を尽くし技を尽くして書かれていることだろう。終章という時を大切に生きねばと思う。

  夢死するもよし 梅林のこの日溜り  

 この作品には「夢死(むし)」という難しい言葉が用いられているが、「夢のようにはかなく一生を終わること。むなしく死んでいくこと。」という意味であるという。
 句意は、「こうした日溜りのなかで満開の梅の中で梅の香に包まれているだけで十分さ。これが夢であるならばそれでもいい。死んだっていいさ。」となろうか。
 梅は香りのよさであり、日溜りであればこそ「むんむん」と匂い立つのである。分ち書きにすることで、一気に明るい作品となった。

  くらやみに なおも花散る 平家琵琶 
 
 「花散る」は桜である。桜は、香りではなく、樹形、枝ぶり、密に咲く花、など全てが備わった美しさを愛でる。朝桜、昼の桜、夕桜、夜桜、落花、大樹もよし、並木もよしである。夜桜は花篝などの灯りがあると華やぐ。だが、花の散る真闇は深い霧の中に紛れ込んだようである。
 平家琵琶の音色も、どこか激しく怖さがある。分ち書きによって、五七五の昂りが順順と迫ってくる。
 
 伊丹三樹彦(いたみ・みきひこ)は、大正9年(1920)-令和元年(2019)、兵庫県伊丹市の生まれ。俳人、写真家。別号・写俳亭。13歳から長谷川かな女の「水明」にて俳句を始める。昭和17年、日野草城の「旗艦」に投句、のち「旗艦」が統合された「琥珀」同人。戦後、同門の桂信子や楠本憲吉らと「まるめろ」を創刊。また「太陽系」に参加。昭和24年、日野草城主宰の「青玄」創刊に参加。昭和31年、草城没後の「青玄」の主宰を継承して第二次「青玄」を発足。句作法は、「定型を活かす。季を超える。現代語を活かす。分ち書きを施す」。〈古仏より噴き出す千手 遠くでテロ〉など、分ち書き俳句は、意味の切れや飛躍、意味の重層性などの表現効果。「写俳」の創始者。

 生前には、編著『秀句三五〇選 日野草城』蝸牛社、金子兜太監修・荒木清編著・伊丹三樹彦写真『日本の名俳句100選』中経出版など、大変にお世話になった伊丹三樹彦先生は、昨年の令和元年9月21日、99歳のご長寿を全うされた。