第二百十一夜 穴井太の「蟬」の句

 平成7年(1995)刊行の『蝸牛 新歳時記』の編集作業の折、天文の季語「秋」に置かれた〈秋を病みやさしくなるは恐ろしき〉の句を見た瞬間、心にすとんと何かが響いたことを覚えている。当時、北九州市で俳誌「天籟通信」を主宰されていた。
 
 作品を紹介しよう。

  九月の教室蟬がじーんと別れにくる 『鶏と鳩と夕焼と』 

 穴井太さんは、大学卒業後に肺浸潤となり大分県九重町に帰省し、療養の後、中学校教師となった。阿蘇連山、九重連山に囲まれた自然の美しい町である。
 別れにくるとあるが、学校は9月の新学期が始まったばかり。蟬は、生まれてから6、7年ほど地中にいる。やがて地上に出て、殻を脱いでからの7日余りを、蟬は精一杯鳴きながら生きるのである。
 ある日、教室に飛び込んできた蟬は「じーん」と鳴いた。子どもたちへの蟬のさよならである。不意に入ってきた蟬を大歓迎した子どもたちだが、でもお別れを言いにきたとは思わないだろう。死のこと、永の別れのこと、二度と逢えない日がやってくることを知るのは、ずっと先のことだから。

  冷奴酒系正しく享け継げり 『原郷樹林』

 私には、お酒が大好きだった父がいた。現在は、酒好きの夫がいる。
 この作品の「酒系正しく享け継げり」と言われれば、確かにそうかもしれないし、この言い訳は笑い出したくなるほど痛快である。
 酒系正しい父の方は、酒量は多かったがじつに静かに飲む人だったので傍迷惑ではなかった。一方、やはり酒系正しい夫の方はといえば、〈秋風や酒で殺める腹の虫〉という飲み方で、賑やかで煩くて妻からすれば大いに迷惑である。
 九州人は、とくに酒好きが多いように思うがどうだろうか。

  ゆうやけこやけだれもかからぬ草の罠 『わが海市』

 「ゆうやけこやけ」は夏。草の罠とは、動物を捉えるためか、子どもの遊びなのか分からないが、本気で捕まえる罠であるならば、草の罠では弱すぎる。きっと穴井太さんの想像の世界のような気がする。
 他にも〈十二月あのひと刺しに汽車で行く〉や〈還らざる者らあつまり夕空焚く〉のような、恐ろしさを感じさせる句があるけれど、最初に出会った〈秋を病みやさしくなるは恐ろしき〉もそうであるように、どの作品からも、根っこにあるやさしさがが見えてくる。
                           
 穴井太(あない・ふとし)は、昭和元年(1926)-平成9年(1997)、大分県九重町生まれ。幼時に福岡県戸畑に転居。中央大学専門部経済科卒業後、肺浸潤のため帰省、療養ののち中学校教師の職に就く。昭和29年、横山白虹の「自鳴鐘」入会。昭和31年、北九州市で益田清らと「未来派」を創刊。昭和38年、金子兜太の「海程」同人。昭和40年「天籟通信」をハガキ版で発行(のち俳誌形態となる)。海程賞受賞、昭和48年、第20回現代俳句協会賞受賞。句集に『鶏と鳩と夕焼けと』『土語』『ゆうひ領』『天籟雑唱』など。