第二百十三夜 有馬朗人の「麦畑」の句

 昭和63年12月に亡くなられた山口青邨の「夏草」門下は、一年を置いて、有馬朗人は「天為」、黒田杏子は「藍生」、斎藤夏風は「屋根」、深見けん二は「花鳥来」という4つの結社に分かれて主宰者となった。
 有馬朗人氏は、世界的に活躍する物理学者であると共に、父の影響で15歳から始めたという俳人である。知られている作品に〈二兎を追ふほかなし酷寒の水を飲み〉があるが、活躍は二兎に留まることはなく、その後は政治家にもなった。
 
 物理学者として留学をし、会合では世界中を飛び回る仕事柄、海外詠も多い。句集『鵬翼(ほうよく)』の帯には、「国際的な物理学者の有馬朗人は存在せず、ひとりの旅人としての俳人がいるだけだ。詩人の翼が異国の景にふれて、新しい俳句が生れる。」と書かれている。この句集に収められた海外詠は総数566句であるという。
 
 作品をみていこう。

  戦争の幾度過ぎし麦畑 『鵬翼』
  
 ヨーロッパの国のどこであってもいい。地名を明記しなくても、はるか昔から戦争を繰り返し、地を奪い合い、国の大きさも変化してきたヨーロッパらしさがある。
 日本にどの時代にも稲作が続けられてきたように、ヨーロッパではパンのための小麦が作られてきた。「麦畑」は夏の季語。黄熟した「麦秋」も夏の季語。この作品は、麦秋の光景であって欲しいと思った。
 戦争を幾度も過ぎ、今は、黄色の明るさと安らぎの色にかがやきながら、どこまでも続く麦畑がある。列車からであろうか、ドイツの高速自動車専用道路のアウトバーンからの景であろうか。

  梨の花郵便局で日が暮れる 『母国』

 日本であれば、郵便局はすぐ近くにあるし、有馬朗人氏が自ら郵便局に行くことはないだろう。だが海外にいれば、一つの仕事が終わればフリーとなる。車で、ついでに梨畑まで行ってみようと思うかもしれない。梨は、春の終わり頃に白い花が満開となる。日が暮れると、白い花に夕日の色がのって、ピンク色になる。
 「郵便局で日が暮れる」の「で」の使い方の、不自然さのない偶然のよさに惹かれた。

  日向ぼこ大王よそこどきたまえ 『知命』
  
 「日向ぼこ」は、太陽と自分だけのもので、何者の指図も命令も受けないという天下御免の意志を感じる。「大王」は、国王であるかもしれないし、また、閻魔大王かもしれない。たとえ、遮ろうとして面前に立とうとも、そこをどいてくれたまえ、と有馬朗人氏は告げるであろう。

  珈琲の渦を見てゐる寅彦忌 『立志』

 平成15年(2003)に出版された著書『現代俳句の一飛躍』を、私は戴いていた。有馬朗人氏の活動の幅の広さ、俳句の幅の広さに魅力を感じてはいたが、まだこなせずにいた。その中で、物理学では師系であった寺田寅彦に関する一文を読んだ。
 掲句は、珈琲好きであった寅彦の姿がよく見える作品で、好きな一句である。

 有馬朗人(ありま・あきと)は、昭和5年(1930)、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。勲等は旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授。昭和20年より作句。翌6年に「ホトトギス」に初入選。東大に入学した昭和25年、「夏草」に入会し、山口青邨に師事。また東大ホトトギス会にも入会。昭和28年、「夏草」同人。高橋沐石らと「子午線」を創刊。平成2年、「天為」を創刊主宰。東大俳句会の指導も行う。昭和62年『天為』で第27回俳人協会賞を受賞。平成30年、〈天高し分れては合ふ絹の道〉の作品のある『黙示』により蛇笏賞を受賞。