今井千鶴子さんは、平成元年に、私たちの師の深見けん二と藤松遊子と3人による季刊の個人誌「珊」を創刊した。藤松遊子さんは歩み半ばで亡くなられた。その後に、「夏潮」主宰の本井英さんが入られている。
数日前に届いたばかりの「珊」126号の、今井千鶴子さんのページには〈共に老い涼しく虚子を恋ふ仲間〉の句があった。コロナ禍がすっきり終息していないこともあって、表紙は、希望の色コバルトグリーンにしたという。
今宵は、今井千鶴子の第5句集『過ぎゆく』を中心に、俳句を紹介させていただこう。
彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 『ホトトギス新歳時記』
稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』の夏の句をさがしていたら、掲句に出会った。
句意は「あのことを訊いてみたくて、相手と視線を合わすのではなく、なにげなく薔薇に視線を向けてお話したのですよ。」であろうか。「彼のことを」は「彼」ではなく「かのことを」で、「ちょっと気になること」ほどの意味。
下五の「目を薔薇に」という具体的な描写から、女性ならではの細やかな心遣いとともに、やっぱり知りたいという女心も見えてくる。
この世には流るる月日立子の忌 『過ぎゆく』
今井千鶴子さんは、東京女子大学国語科を卒業後、星野立子主宰の「玉藻」社に勤務した。虚子からは、「あなたは、寝ても覚めても「玉藻」の編集のことをお考えなさい。」と言われたという。
「玉藻」には、昭和6年の創刊以来昭和34年に逝去するまで、虚子は毎号「立子へ」という少文を書き続けた。それは、終始、自分と同じく俳句を専門とする我が娘への愛情に裏打ちされた言葉で綴られている。後に、岩波文庫から出された『立子へ抄』は、3分の1ほどに割愛されているというが、今井千鶴子さんは、「立子へ抄」くさぐさ、として解説されている。
「玉藻」編集をずっと続けてこられ、「立子へ」の虚子の原稿の口述もしていた千鶴子さんには、それこそ過ぎゆく思い出に溢れていたことだろう。
かたはらにゐて散る花にへだてられ 『過ぎゆく』
吉野の花は、前「ホトトギス」主宰の稲畑汀子氏に誘われて、何年も続けて見に行かれたという。この句は、花見の作品の中で、切り取るアングルが独特である。同じ満開の吉野桜の下でしろじろとした落花の中にいるのだけれど、傍らという近さにいるけれど、二人の間は散る花によって隔てられていると感じている。
それほどまでに、一人一人を取り囲む落花のゆたかさなのだ。
虚子やさし虚子おそろしと花仰ぐ 『過ぎゆく』
筆者の私も、吉野に一度行ったが、桜の中は落ち着かないほどであった。桜は、美しくやさしいけれど、満開の中、花の闇に一人とりのこされると、おそろしいと思うことがある。桜にはそう思わせる何かがある。
虚子もまた、私には掴みきれないものがあるからか、おそろしいと思わせる何かがある。
今井千鶴子(いまい・ちづこ)は、昭和3年(1928)、東京生まれ。高浜虚子の姪の今井つる女の長女。父今井五郎、母つる女の影響で早くから句作し、東京女子大学国語科を卒業後、星野立子主宰の「玉藻」社に勤務。晩年の高浜虚子の口述筆記に通う。平成元年、深見けん二、藤松遊子らとともに俳句個人誌・季刊「珊」創刊。平成20年、句集 『過ぎゆく』により第8回俳句四季大賞受賞。他の句集に『吾子』『梅丘』『花の日々』など。「ホトトギス」「玉藻」同人。日本伝統俳句協会理事。娘の今井肖子も俳人。