第二百十六夜 石井ひさ子の「明易し」の句

 石井ひさ子さんは、石寒太主宰の「炎環」に所属されていて、その中の小句会「石神井句会」でご一緒した方である。私よりずっと年配で、何でも知っている素敵な先輩だが、同じ年に「炎環」同人となっているので、同級生の気分もある。
 私たちが茨城県に越して、母の介護をして、東京まで句会に出かけることが出来なくなった頃、小学校の友人や、旧「炎環」の友人が集って生まれたのが「円穹」俳句会である。
 ひさ子さんは、手賀沼の住人でもあり、志賀直哉旧居、瀧井孝作旧居、バーナード・リーチの住んだ三樹荘、白樺文学館など巡る吟行句会の案内をしてくれた。

 今宵は、ひさ子さんの第3句集『球体の夢』から、紹介させていただく。
 
  球体の夢の綻び明易し

 この句集は、あとがきには、「現世での暮らしもいよいよ終盤となりました。このあたりで形見としての句集を上梓したいという思いに駆られ、過去の2冊『蘇民祭』と『そぞろ神』より好きな句、忘れがたい句土地での句を選び、それ以降の作品を加えて『球体の夢』に収めました。」とある。

 句集タイトルは「球体の夢」はどうかしら・・素敵でしょう、この句を句集名にしたいの、ひさ子さんは仰った。
 そう簡単に夢が叶うことはなく、明け易き夏の短夜が終われば、夢は夢で終わってしまうかもしれないけれど、俳人も詩人もみな遥かな夢をいだいている。
 表紙画は、田島和子さんのエッチングだ。
  
  ガス室を出でし人の目夏空へ
     アウシュビッツ強制収容所跡

 「炎環」石神井句会で、〈アウシュビッツいまななかまど真赤なり〉の句が回ってきたとき、迷わずに頂いた記憶がある。晩夏の旅であるが、北欧なので、ななかまどの実はすでに色付いていたのだろう。「ななかまど」の季題の本意は、燃えにくい木で七度かまどに入れても燃えずに残るという。そのことを思ったとき、ガス室の出来事を思った。ひさ子さんが「いまななかまど真赤なり」と、一瞬に感じとった気持ちがわかる。
 掲句は、ガス室を見学して出てきた人たちのこと。きっと皆が皆、思わず夏空を見上げたのだと思う。30年前の私には頂けなかった句ではあるが、今の私は、その目の動きがよく見える。

 序――はなむけのことば、を荒木清が書いている。まず驚かされることは、ひさ子さんは旅人であった、ということである。八丈島、浄瑠璃寺、新羅、慶州、ポーランド、アウシュビッツ、スウェーデンなど、海外まで広く足をのばしている。つまり、ひさ子俳句は「現地へ足を運んで、見て、実感して作った作品」であるということだ。「俳句は旅行吟を以て第一とする」という正岡子規の言を実行されている。ひさ子さんは、不確かなものは嫌いであり、あやふやな感覚を作品としない作家である。

  鳥の目のぱらぱら降つてくる枯野

 この作品は、円穹俳句会に出されて、特選になった句である。鳥の一団が枯野に餌を漁りに降りてくるところであろう。鳥の目は丸い。この角度から見る人は少ないだろうが、一団となった鳥の黒い、丸い、目の玉は、ぱらぱら降っているに違いないと、ひさ子さんは直感したのだ。
 この作品が、ひさ子俳句の感性であり、ひさ子ワールドの真髄を示している。

 石井ひさ子(いしい・ひさこ)は、昭和3年、東京生まれ。昭和52年、朝日カルチャー加藤楸邨俳句教室に入門。昭和55年、加藤楸邨主宰の「寒雷」に入会。昭和62年、石寒太主宰の「炎環」に参加。平成2年、第1句集『蘇民祭』上梓。平成7年、3第2句集『そぞろ神』上梓。平成17年、「円穹」俳句会に参加。平成18年、第3句集『球体の夢』上梓。