第二百十九日 小澤實の「涼し」の句

 もう30年ほど前のことになるが、私は、「鷹」の祝賀パーティーに蝸牛社の荒木の代わりに出席した。この日、「花鳥来」の吟行句会から直接、深見けん二先生とご一緒した。「みほさん、着替えないの?」と言うや、けん二先生は駅の待合室でさっと背広姿に早変わりした。夫は、おしゃれしなくていい、と言ったけど、会場に着いてから後悔したことを覚えている。女流俳人たちは綺羅びやかだった。
 受付で、「鷹」編集長の小澤實さんはさっと藤田湘子先生の席まで案内してくださった。私は、何とか荒木の代理の挨拶をすることができた。「ああ、蝸牛社さん。お花、ありがと。」と、仰った俳人藤田湘子の貫禄ある風貌を今も忘れない。
 
 小澤實さんは、蝸牛社刊『秀句三五〇選 友』を編著者としてお書きくださった。
 本書のあとがきで、発句とは「友だちになろう。このひとときをともにたのしもう」という、挨拶、呼びかけなのである」と書いているが、「澤」創刊の弁の「古今の俳諧俳句に本体を温ね 東西の詩文学芸に本質を照らす 只管に詠い真摯に読み 闊達なる一座を建立せん」という言葉と響き合う。

 今宵は、第1句集『砧』と第2句集『立像』の作品から、紹介させていただこう。

  虚子もなし風生もなし涼しさよ 『砧』

 この作品は、虚子の「風生と死の話して涼しさよ」が下敷きのように思う。
 山中湖畔山廬での夏の稽古会でのことだ。体調を崩していた風生が、句会前に田中憲二郎侍医からノイローゼの講釈を受けていたとき、縁側の籐椅子にくつろいでいた虚子が唐突に話に割り込んできた。
 「死ぬことこわいですか? 私は死ぬこと、ちっともこわくありませんね」と風生に言われたという。直後の句会で、句稿が回ってきた風生は驚いた。先程の会話がそのまま作品になっていたのだ。
 掲句は虚子の生死観を現した作として夙に有名であるが、虚子の死に際して風生は、「まことに死を涼し」と観じているお顔だったと述べている。
 
 小澤實さんの句の「涼しさよ」を考えてみた。とうに虚子も風生も亡くなっている。ある意味大きな俳句界の呪縛のようなものから解かれた爽やかな心持ちを詠んだのかもしれない、とも感じた。現在は再び、虚子の俳句観が再認識され、小澤實さんの師の藤田湘子もそうであったという。
 死生観ではなく、新しい俳句観を得たいという心持ちが「涼しさよ」なのであろうか。

  大阿蘇の寝姿に月出づるなり 『立像』

 第1句集『砧』のあとがきに、「俳句をつくろうとすること、つくることによって見えてくる世界に驚きたいと思うようになった」と書いたが、小澤實さんは、なだらかな広がりをもつ阿蘇連山を「寝姿」であると捉え「大阿蘇」とした。私は大分県の九重山の麓に生まれたので、西側に阿蘇連山を眺める。阿蘇山を詠む人は多いけれど、「寝姿」は初めてだ。小澤實さんの、常識的な言葉ではなく直感による言葉であったことに驚いた。

 小澤實(おざわ・みのる)は、昭和31年(1956)、長野市生まれ。俳人、俳文学者。大学時代より「鷹」に所属し藤田湘子に師事。平成12年、俳誌「澤」を創刊主宰。昭和60年、「鷹」編集長に就任。平成10年、第二句集『立像』により第21回俳人協会新人賞受賞。平成11年、「鷹」を退会し、翌年の平成12年、「澤」を創刊・主宰。平成20年、『俳句のはじまる場所』により第22回俳人協会評論賞受賞。著書、『名句の所以』毎日新聞出版、編著『秀句三五〇選 友』蝸牛社ほか。