第二百二十二夜 大島民郎の「巣立ち」の句

 「馬酔木」を去った大島民郎は、堀口星眠の「橡」に参加して、堀口星眠や相馬遷子たちとともに軽井沢を吟行し、高原俳句を切り開いた。
 東京生まれの民郎だが、軽井沢での作品づくりが、のちに奈良に移り住むきっかけとなったのだろう。第5句集『山月』には、憧れの地である奈良に移り住んで既に三十五年、必然的に大和の風物にゆかりの作品が多い。
  
 今宵は、『山月』の作品も含む『大島民郎句集』から、いくつか紹介してみよう。

  雀の子奈良大学を巣立ちけり
  
 この作品は、奈良に住みはじめてからの作品だ。散歩コースに奈良大学があって、春の雀の巣立つ日々も見て知っていた。
 「奈良大学を巣立ちけり」と詠まれると、雀の子も、立派な学士さんとなって大学を卒業をしたのだと思えてくる。
 
  曲目はまづ火の鳥や薔薇暮れて
  
 能村研三の編著書『秀句三五〇選 火』蝸牛社刊に入集の一句である。
 ストラヴィンスキーのコンサートに出かける日の夕暮れ。そろそろ出かけようと玄関を出ると、庭の真紅の薔薇に夕日が差し込んでいた。作者は、今宵のコンサートの一番目の曲目は「火の鳥」だったと、心の準備をしている。
 「火の鳥」は、古代から未来に亘る時空を超えた永遠生命体である。恋あり魔法ありの冒険譚であるが、楽曲は華麗さと軽やかさがある。
 
  夜々おそく戻りて今宵雛あらぬ 

 「今宵雛あらぬ」は、どういうことだろうと思ったが、「夜々おそく戻りて」で判明した。サラリーマンのお父さんは、雛壇の飾り付けをした日には、妻も子も喜んで伝えるが、雛祭の3月3日が終わると、婚期が遅れるとして素早く仕舞う。
 お父さんにしてみれば、忽然と「雛あらぬ」になったのである。

  子へ贈る本が箪笥に聖夜待つ

 贈る側としては、まず子どもが学校に行っている間に買っておく、それを子どもに見つからないように隠しておく。当日は、サンタさんがそおっと置いていったことにする、などと親は苦労する。
 我が家ではある年のクリスマス、とんでもない悪戯っ子の息子が寝ている枕元にプレゼントを置くのではなく、お父さんは、息子が探し出せそうにない場所に置いた。翌朝は大騒ぎだ。家中を探し回った息子は、すごい悄気げようだ。
 「やっぱり、サンタさんは僕のところに来なかったんだ!」「僕、いい子じゃないから」と、お母さんに告げに来た。「そんなことないわよ!」「もう一度いっしょに探そう!」と、息子と探した。
 こうした思い出は一生、子から親へのクリスマスプレゼントである。

 大島民郎(おおしま・たみろう)は、大正10年(1921)-平成19年(2007)東京都出身。慶応大学在学中に清崎敏郎や楠本憲吉らとともに「慶大俳句研究会」を結成。戦後、鎌倉で久米三汀の句会に参じ、その紹介で水原秋櫻子に師事。「馬酔木」同人。堀口星眠や相馬遷子らと軽井沢などに吟行し高原俳句に新生面を拓く。昭和59年、「馬酔木」を去り、堀口星眠が創刊した「橡」同人。句集に、『灯の柱』『金銀花』『山月』など。