第二百二十三夜 石田郷子の「春の山」の句

 石田郷子さんは、山田みづえ主宰の「木語」で学ばれた方であること、俳句雑誌でオフロードバイクに乗って一人で吟行に出るという写真と記事を拝見したことを思い出しながら、「千夜千句」を書いている。
 私は車でなら、大型犬を横に乗せていれば、かなり遠くまでも流れ星や満月を見に一人で行くけれど、バイクでの一人行は怖そうだ。
 
 今宵は、これまでの3句集から好きな作品を紹介させていただこう。

  春の山たたいてここに座れよと 『秋の顔』
  背泳ぎの空のだんだんおそろしく
  
 一句目、この作品は、句形としては「春の山」で切れるのかもしれないが、「ここに座れよ」と、叩いた「ここ」は即ち春の山の一部であるから、多くの読者はおそらく「春の山たたいて」と一気に読み下してしまう。
 だがそう思わせることで、稀有壮大な句になってくるし楽しくもなる。「たたいて」という動詞が浮かんだことが石田郷子さんの手柄であろう。

 二句目、泳ぎが苦手な私にはこのような体験はないが、遠くまで一人できてしまって、空と対峙しているのは自分一人と気づいたときの恐怖感は想像できる。
 だがある日、気分がむしゃくしゃっとして軽井沢まで飛ばした帰り道、山下りの自動車道で濃霧の中を走ったことがあった。大空とは違うが、視界5メートルという濃霧の急カーブを走る閉じ込められた世界もまた「だんだんおそろしく」の世界であった。

  掌をあてて言ふ木の名前冬はじめ 『木の名前』

 秋の黄落期が過ぎると木立は枯木立となる。いわゆる雑木林と言われるのは、落葉大木・中木のブナ科、カバノキ科の「櫟(クヌギ)」「アカシデ」「ミズナラ」「カバ」「クリ」等が主である。この木を冬木だけで見分けるのはとても難しい。葉が出て、少しずつ違う花が咲き、そうだ、これはクヌギだった、と分かるのだ。
 石田郷子さんは、幹に掌をあてて、幹の模様や手触りで木の名前を「これがクヌギ、これがミズナラ・・」と、愛おしむように確めるように話しかける。
 雑木林のステキなところは落葉樹だからだ。無から有、有から無の世界へと変化するのがいい。
 
  教会のやうな冬日を歩みをり 『草の王』

 石田郷子さんは、きっと「冬日」がお好きな方であろう。私は、高浜虚子の孫弟子の端っこにいて、虚子の〈旗のごとなびく冬日をふと見たり〉の句の、「冬日を存問する人間に対する荘厳な回答であった。」という虚子の解釈が気に入っている。
 この作品の「冬日」を郷子さんは、神を信ずる人に応えてくれる「教会」のごとく、信頼に値するものと感じながら歩いていたのではないだろうか。

 石田郷子(いしだ・きょうこ)は、昭和33年(1958)、東京生まれ。父・石田勝彦、母・石田いづみはともに石田波郷に師事した俳人。昭和61年、やはり波郷の門人で母とも親しかった山田みづえ主宰の「木語」に入会、師事。平成9年、第1句集『秋の顔』により、第20回俳人協会新人賞を受賞。平成16年、「木語」終刊。同年、「椋」を代表発行人として創刊。平成20年、大木あまり、藺草慶子、山西雅子とともに「星の木」を創刊。句集に『秋の顔』『木の名前』『草の王』。