第二百二十四夜 宇佐美魚目の「雪へ雪」の句

 宇佐美魚目の俳句に、私は長いこと近づくことができなかった。抽象絵画の前に佇って、強烈な美を感じ、引き込まれるような強さを感じるのだが、言葉が出てこない、鑑賞などとてもできない、そのような気がしていた。
 
 今宵は、意を決して宇佐美魚目の代表作品を考えてみようと思う。

  馬もまた歯より衰ふ雪へ雪 『秋収冬蔵 』

 人間もそうであるが馬もまた、老いは歯の衰えからやってくる。一昔前の農作業などの力仕事は、人とともに働く馬や牛が不可欠であった。歯を見せてヒヒーンと鳴く馬の歯茎を見れば、飼主はすぐに衰えに気づくだろう。泥濘は重くとも、鞭打たなくてはならずとも、畑仕事は続けなくてはならない。雪が降れば、馬も寒いであろうが、雪は容赦なく降りかかる。
 馬は文句一つ言わないが、その分、お百姓さんの悲しみが伝わってくるようだ。

  初夢のいきなり太き蝶の腹 『草心』

 一年の吉凶を占う意味もある初夢の中に、いきなり大きな蝶の、しかも、柔らかなしわしわの蝶の腹部が、ズームアップされて眼裏に迫ってきたというのだ。「太き蝶の腹」の具体的な描写は、想像するだけで気味が悪いし恐ろしい。
 だが、「初夢」と「蝶」の文字からは、明るさを感じさせる不思議さがある。よくよく考えての後に不気味さが訪れる仕掛けに、ぞっとさせられる。

  紅梅や謡の中の死者のこゑ 『草心』

 謡は、能楽の詞章である。お能は、シテとワキがあってワキが主役。舞台は前場と後場に分かれ、前シテと後シテがあり、前シテは人間であることが多いが、後シテは鬼であったり死者の霊であったりする。観客は能面と詞章によって違いはわかるし、謡も後場となれば、「死者のこゑ」となる。
 この作品は、季題の「紅梅」が効いているから、この能の演目は、たとえば「老松」かもしれないと想像できる。

  雪兎きぬずれを世にのこしたる 『紅爐抄』

 「雪兎」は、戸外につくる大きな雪だるまではなく、若い女性が、室内でお盆の上につくる雪兎である。暫くすると融けてしまい、お盆には水がのこっている。
 そののこされた「きぬずれ」が、かすかな音を立てて立ち去った女人の跡だというのだろうか。

 宇佐美魚目(うさみ・ぎょもく)は、昭和3年(1926)-平成30年(2018)、愛知県名古屋市生まれ。俳人、書家。19歳で俳句を始め、翌年「ホトトギス」に投句、高浜虚子、橋本鶏二に師事。昭和29年、書道塾を開く。書は武市秀峰に師事。昭和32年、鶏二の「年輪」創刊に参加。昭和38年、波多野爽波の「青」同人参加。1984年、大峯あきら、岡井省二らと「晨」を創刊、二人とともに代表同人を務める。昭和59年、波多野爽波の「青」同人参加。大峯あきら、岡井省二らと「晨」を創刊、二人とともに代表同人を務める。平成10年、愛知県芸術文化選奨受賞。句集に『崖』『秋収冬蔵』『天地存問』『紅爐抄』『草心』『薪水』『松下童子』。