第二百二十七夜 藤崎久をの「玉虫」の句

 3日続けて、俳誌「阿蘇」の方々の作品に触れることになった。きっかけは「阿蘇」と「花鳥来」に所属している友人から、1000号記念として刊行された『俳誌「阿蘇」合同句集』を頂いたことである。第百七十夜の、『虚子俳話』と並べて置いてある『虚子俳話録』の著者・赤星水竹居を書いた折にも、合同句集を参考にさせて頂いた。藤崎久を氏が第3代目であることも、現主宰の岩岡中正氏が4代目であることも、高浜虚子が大正元年に俳壇復帰して伝統俳句を確立しつつあった頃から「阿蘇」の歩みが始まっていたことも知った。

 今宵は、藤崎久を氏の作品を紹介させていただこう。

  玉虫のしきりに飛んで村貧し 『俳誌「阿蘇」合同句集』

 「玉虫」は、金緑色の美しい光沢のある虫で、幼虫は木材に害を与えるが、成虫の上羽は、玉虫厨子で有名なように装飾や装身具にも用いられる。そのような貴重な玉虫がたくさん飛んでいる村であるのに、ここは貧しい村だという。だが、たとえ金銭的な豊かさはなくとも、玉虫がしきりに飛んでいる、というお金では贖えない豊かさがある。

  桜蓼たのしきこともまたあらん 『露霜』

 それに、「桜蓼(さくらたで)」も野にあふれているのだ。蓼科の花は概して地味であるが、桜蓼は、花の一つ一つがピンク色で、花も密でなくどことなく柔らかで優しくて明るい。なかなか群れ咲く野には出会えないかもしれないが、桜蓼を見つけた作者はうれしくなり、桜蓼の咲く野道を「たのしきこともまたあらん=楽しいこともまた訪れるだろう」と、何事にも平然として未来を夢見て生きていこうと思えるに違いない。

  虹消えて虹でなかりしものも消え 『秀句三五〇選 夢』

 この作品は、蝸牛社刊の友岡子郷編著『秀句三五〇選 夢』の中の一句だ。校正をしていて好きな句に出会うと、赤ペンの速度は落ちるが、ふっと空想に浸ることができる時間となる。
 句意は、「虹というものは、虹を見ている間にさまざまに作者の心に過ぎった懐古や生まれていた幾つもの夢が、虹が消えるとともに、元の景色も精彩を失うし、虹と同時にたくさんのことが消えてしまうものだ。」ということであろうか。
 写生句も、独自の感性と独自の表現によって、随分と広がりが生まれる。

 藤崎久を(ふじさき・ひさお)は、大正10年(1921)-平成11年(1999)、熊本市生まれ。昭和23年より句作。野見山朱鳥・田辺夕陽斜(たなべ・せきようしゃ)に教えを受けた後、高浜虚子、高浜年尾、稲畑汀子に師事。昭和56年、俳誌「阿蘇」の三代目の主宰となる。句集に『風間』『花明』『依然霧』『花の下』『露霜』ほか。