第二百二十九夜 岡本 眸の「桃ひらく」の句

 岡本眸氏の作品に初めて触れたのは、〈桃ひらく口中軽く目覚めけり〉であったように思う。改めて戦後の現代俳句の秀句がテーマとなった書籍を見ると、どの書物にも登場している。
 「俳句は日記」であるという信条を持つ岡本眸は、日々の身ほとりに起こる小さなことを両手ですくい上げて慈しむという作り方である。今宵は、次の作品を紹介しながら考えてみたいと思う。
 
 まず、「朝の目覚め」の句を見てみよう。

  桃ひらく口中軽く目覚めけり 『朝』俳人協会賞受賞
  覚めてまだ今日を思はず白障子 『午後の朝』蛇笏賞受賞

 一句目、「桃ひらく」のあえかに開く美しい桃の花と、朝の目覚めで「口中軽く」と感じられる爽やかさが、若さと清新さで響き合っている。第一句集『朝』の作品であるから、新婚の初々しさもあるだろう。

 二句目、第10句集『午後の朝』の作品である。このタイトルの「午後の朝」とは、随分と遅い朝である。白障子に当たっている午後の太陽は、冬の日射しが深く低く差し込んで明るいと思われる。こんなに遅い目覚めなのに、まだ「この目覚めは今日・・」であることに気づいていない。
 うっかりしたが、この目覚めは昼寝からの目覚めかもしれない。
 筆者の私は滅多に昼寝はしないが、それでも「こんなに明るいけど、いま何時かしら、もう今日になったのかしら。」と、慌てたことがあった。
 この2つの作品は、朝の目覚めと昼寝からの目覚め。だが、制作された時の年齢の違いの面白さも感じた。

 次に、独自の視点の句を見てみよう。
 
  毛虫の季節エレベーターに同性ばかり 『朝』
  犇めきて椿が椿落としけり 『知己』
  
 一句目、かなりの字余りの作品であるが、一気に読めば長さを気づかせない。一つは「毛虫の季節」という毛虫が不意に登場したことである。もう一つは、「エレベーターに同性ばかり」である。一人が毛虫が付いたままエレベーターに乗った、それに気づいた女性たちは、キャーキャーと大騒ぎになった。この騒動の凄さが字余りを感じさせないのだろう。
 「女性」とせず「同性」としたことで想像の広がる景となった。

 二句目、とくに庭園で洋風にきれいに剪定された椿の満開のころの椿である。椿の樹下は落椿が次から次へと積み重なって落ちている。椿の樹を見ると、犇めいて咲いている椿が、まるで押し出されるように絞り出されるように飛び出してゆく。
 眺めていると、穢いと思うほどで美しくはない光景であるのに、「椿が椿落としけり」と詠まれたことで、椿の美しさを損なうことなく椿の実相となった。
  
 次は、ご主人に先立たれた作品である。
 
  喪主といふ妻の終の座秋袷 『二人』
  雲の峰一人の家を一人発ち 『母系』
  
 一句目、中七の「終の妻の座」で急逝された、俳人同士であった相棒を亡くされた気持ちがひしひしと伝わってくる。

 二句目、一人住まいも一人の生活にもなんとか慣れた頃かもしれない。否、決して慣れることはないであろうが、大きくでんと構えた「雲の峰」という季題から、一人で生きてゆくという覚悟と気迫を感じさせてくれる作品となった。

 岡本眸(おかもと・ひとみ)は、昭和3年(1928)-平成30年(2018)、東京江戸川生まれ。聖心女子大学国文科卒。昭和26年、職場句会をきっかけにして富安風生の「若葉」に入会、師事する。岸風三楼の指導を受け、翌27年、「春嶺」に参加。昭和46年、第一句集『朝』により俳人協会賞を受賞。昭和55年、「朝」を創刊主宰する。句集『午後の椅子』により蛇笏賞を受賞。句集は、『二人』『母系』『十指』『矢文』『手が花に』『自愛』『流速』『一つ音』『午後の椅子』など。