お写真で拝見する大木あまりさんは、いつも永遠の少女のような印象である。
蝸牛社で『秀句三五〇選』というテーマ別のシリーズを発刊したとき、第一期12巻にテーマ詩をつけてくださっていた。
一部だが、第4巻「愛」から紹介させていただこう。
人間だけ べたべたと/愛の代償を求める。/他のいきものは/愛の代償を求めたりしない。(略)人間だけが愛の深淵病。/けものたちにとって/愛こそ/生きる力。/愛にあふれ/それでいて自由な/彼らたち。(第4巻「愛」)
今宵は、大木あまり俳句に存分に浸ってみたいと思う。
さくら咲く山河に生まれ短気なり 『火のいろに』
この作品は、『秀句三五〇選』シリーズの編集の中で覚えていた一つである。小柄で美人のあまりさんは、もしかしたら「短気なり」かもしれないと、なぜか私は直感した。
そして第5句集『星涼』にある〈雛よりもさびしき顔と言はれけり〉もまた、紛れもなくあまりさんである。
人形のだれにも抱かれ草の花 『雲の塔』
「人形のだれにも抱かれ」は、たしかにそう。「草の花」もだれもが摘んでゆく。人形と草の花。どちらも愛らしく手にとってみたくなる。
だが、人形が言葉で答えてくれるならばきっと「わたしは誰のものではないわ」と、言うであろうし、草の花ならば、「わたしは皆のものよ」と、言うのではないだろうか。誰かのものでもなく皆のもの、この二つの、なんとナイーブな、凛とした組み合わせだろう。
病歴に似てながながと蛇の衣 『星涼』
夫の母が50代という若さで早逝したとき、大学生の夏休みであった夫が大学病院で母親のカルテを受け取った。死亡欄に書かれた病歴は、小さな文字であるにも関わらず欄をはみ出していた。これほど身体中が蝕まれていたことに愕然としたと、語ってくれたことがあった。
「蛇衣を脱ぐ」は、蛇が脱皮することで最も活動的な初夏に、ながながとした脱け殻を見ることが多いという。どちらも怖さがある。
握りつぶすならその蝉殻を下さい 『星涼』
蝉の殻(空蟬)を見つけると、何気なく拾い上げてしまうことってある。脱いだばかりの蟬の殻は、濡れて光って美しい。蟬殻を拾ったときは家に持ち帰って、子どもに「空蟬だよ」と見せようとか棚に飾っておこうとか考える。しかし歩いているうちに、掌には全く重さも気配も感じられない軽さなので、うっかり握り潰してしまうこともありそうだ。
この句のままを伝えたら、その人は、きっと気を悪くする。
実際には、あまりさんの口から出た言葉ではなく、あまりさんが、「どうぞ握りつぶしませんように」と、祈るような気持ちで、その人が蟬殻を拾うのを見たときの想いを詠んだものであろう。
死ぬまでは人それよりは花びらに 『星涼』
子どもの頃から病気がちであったからか、どこか「死」を身近に感じた作品が多いと言われる。「死ぬまでは人」の言葉の重さは、俳句への情熱の深さ迫力に他ならない。精一杯生き抜いて俳句を詠み続けてゆこう、そののち美しい花吹雪となれるという夢があるのだから。
大木あまり(おおき・あまり)は、昭和16年(1941)、東京生まれ。武蔵野美術大学洋画部卒。父は詩人の大木惇夫。昭和46年、角川源義に師事し「河」に入会。のち、進藤一考主宰の「人」や石田勝彦主宰の「泉」に参加。平成2年、長谷川櫂と同人誌「夏至」を創刊。平成5年、「古志」創刊に参加。矢島渚男の「梟」に入会。その後、高橋睦郎、水原紫苑、西村和子などを中心とした詩人、歌人、俳人がジャンルを越えて集い、クロスオーバーの詩的世界を目指す。平成20年、石田郷子、藺草慶子、山西雅子とともに「星の木」(年2回刊)を創刊。平成23年、句集『星涼』で第62回読売文学賞(詩歌部門)を受賞。