第二百三十四夜 深見けん二の「明易し」の句

 深見けん二(ふかみ・けんじ)の第8句集『菫濃く』は、平成20年より24年夏までの409句を収録。この句集により第48回蛇笏賞を受賞された。当日の作品〈その夜や春満月を庭に見て〉から喜びが伝わってくる。(『菫濃く』以後)
 次に紹介するのは、蛇笏賞の選考委員である長谷川櫂さんの言葉である。

 「深見けん二さんは高浜虚子の教えを受けた人です。いわば虚子の最後の弟子であり、写生の本道を日々実践している人です。『菫濃く』が受賞した最大の意義はここにあります。
 というのは雑誌『俳句』も蛇笏賞も、虚子とその「ホトトギス」に拮抗する勢力として創られた経緯があるからです。しかし半世紀が過ぎ、その看板はすでに意味を失っています。
 これからは互いのわだかまりを捨てて俳句という一つの土俵の上で、いい句はいいと認め合う、これが実現すれば俳句はもっと豊かになるはずです。深見さんの受賞はそこへいたる大きな一歩です。」と、その意義を称えた。(句集解題 すゞき茂)
 
 今宵は、けん二先生86歳から90歳までの作品の『菫濃く』から紹介させていただこう。
 
  書くほどに虚子茫洋と明易し 『菫濃く』
  
 たとえば、私が深見けん二の俳句の鑑賞を「花鳥来」で書かせていただくことが何回かあったが、毎回、こうではないのではないか、と自分で自分にがっかりするばかりである。虚子に師事してすでに60年以上経つ深見先生でもそうなんだ、と、すこし安堵し、次はもうすこし頑張ろう、と思いながらめげずに試みていこう。
 「茫洋」は、広々として掴みどころがないさま、という。
  
 「蟻」の句をみてみよう。

  デッサンの蟻百態のノートあり 『星辰』
  足もとの蟻の話の聞こえさう 『蝶に会ふ』
  蟻走る時には風に飛ばされて 『菫濃く』

 一句目、吟行で一所に長いこと佇んでいるけん二先生は、挨拶のお声も書けにくいほど集中している。蟻百態のデッサンを描いたのは熊谷守一だが、蟻は、けん二の好きな季題である。
 二句目、蟻はいつでも真っ直ぐに走っているわけではなく、時には、2匹3匹と立ち止まっていることがある。なにか相談しているようにも見える。
 三句目、小さな蟻は、強い風が吹く時には飛ばされているときがあるという。じっと見続けていないと、なかなか出合うことはない。

 けん二先生が90歳を越えた頃だろうか、私は守谷図書館で見かけた、アメリカ人の作家デヴイッド・スノウドンの『100歳の美しい脳』-アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち、を興味深く読んだ。

 スノウドン博士は、「老いぼれる前に死にたい=I hope I die before I get old 」と歌う、イギリスのロックバンドであるザ・フーの「マイ・ジェネレーション」を聴いていた世代である。研究対象者のシスターたちと心を通わせる中で、やがてスノウドン博士は、次のように考えるようになった。
 「老年は、むしろそれは約束と再生のときであり、すべてを承知した瞳で見つめることであり、人生が教えてくれた教訓をすべて受け入れ、可能であればそれを次の世代に伝えることである。私が出会ったシスターの多くは、一世紀近くにおよぶ人生を歩んできて、なおしっかりした精神を持っていた。彼女たちから教わったことを表現するなら、ザ・フーの歌詞をそっくり入れかえればいい――私は死ぬ前に老いぼれたいと思う。」
 
 この考え方は、俳句とまさに同じなのではないだろうか。