第二百三十五夜 能村研三の「春の暮」の句

 平成元年、私は、NHKカルチャーセンターで深見けん二教室で学び始めていた。けん二先生は、いきなり句会を始めるのではなく毎回、高浜虚子と山口青邨、また当時活躍されている作家の作品を20句ほどコピーをして説明をしてくださり、広い俳句の世界を見せてくださった。
 出版されたばかりの、能村登四郎の第11句集『長嘯』にある〈紙魚ならば棲みても見たき一書あり〉の作品はその時に教えていただいた。
 能村研三氏は、その能村登四郎の三男で、現在「沖」の主宰者である。
 
 今宵は、偉大な父をもつ研三氏の作品を紹介してみよう。
 
  春の暮老人と逢ふそれが父 『鷹の木』

 ある春の日の夕暮れ、研三氏はすたすたと歩いてゆく老人の後ろ姿を見た。よく見ると、父登四郎ではないか。健脚で有名な父で、その時も早足であったが、当時は既に80歳近かった。遠目には老人である。子がわが父を「老人」と感じた瞬間かもしれない。

 大学を卒業したばかりの研三氏は、父の結社「沖」に入会し父登四郎に師事するのだが、「沖」の若いメンバーの「福永耕二の会」で、正木ゆう子や中原道夫たちと切磋琢磨したという。
 平成13年5月、研三氏は「沖」を継承した。父登四郎は、生前〈楪(ゆづりは)やゆづるべき子のありてよき〉という句を詠み「沖」を子研三へ託した。
 
  檜葉くべて焚火一気に加勢せり 『催花の雷』

 第7句集『催花の雷』に収められた作品である。檜(ひのき)は、木材として宮殿を作るほどの良材であるが、檜葉(ひば)は、キャンプで火を起こす際に用いられる。檜葉を焚火にくべるやちりちりと爆ぜるように焚火が勢いづく。
 能村研三氏は、かつて、編著者として蝸牛社刊『秀句三五〇選 火」』を書いてくださった。父能村登四郎にも、火の代表句〈火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ〉がある。

  青林檎置いて卓布の騎士隠る 『騎士』

 卓布はテーブルクロスだが、そこには騎士の模様が描かれていたという。その日、青林檎を土産に客人が訪れたのだろうか。青林檎を置いたら卓布に描かれた騎士がすっぽりと隠れてしまったというのだ。
 偶然だと思われるが、「青林檎」と「騎士」の組み合わせは、意外で斬新で洒落ている。騎士が隠れて青林檎の下になり、季語の「青林檎」が騎士の上になって、主役になったところが俳句の力である。

能村研三(のむら・けんぞう)は、昭和24年(1949)、千葉県市川市生まれ。昭和46年、父能村登四郎の主宰する「沖」に入会、福永耕二の手ほどきを受け、能村登四郎、林翔に師事。平成5年、第3句集『鷹の木』で俳人協会賞新人賞を受賞。平成13年、「沖」主宰を継承。句集『騎士』『海神』『鷹の木』『磁気』『滑翔』『肩の稜線』『催花の雷』 。現在、朝日新聞千葉版、北国新聞、倫理研究所「新世」の俳壇選者担当、よみうり日本テレビ文化センター講師、NHK学園オープンスクール講師、俳人協会幹事、日本文芸家協会会員、日本ペンクラブ会員、千葉県俳句作家協会幹事。市川市文化会館館長として在職中。