第二百三十七夜 鷲谷七菜子の「夕立」の句

 鷲谷七菜子先生から戴いていた、句集『一盞(いっせん)』(平成10年刊)を久しぶりに繙いてみた。あとがきには、句集名を『盞一』とした訳を、「〈一盞のはや色に出し夕霧忌〉のほのかな艶のこころを失いたくない思いがあったことも正直に述べよう。(略)そして一盞を満たすものに、ほんの少しでも芳香がただよえばと希っている。」と書いていた。盞は盃よりも小さなものだという。
 
 鷲谷七菜子は、楳茂都(うめもと)流の舞踊家・楳茂都陸平と元宝塚歌劇団娘役の吉野雪子との間の長女。その血筋からも、型というもの艶なるもの、は生来のものであったろうと思われる。
 
 今宵は、その『一盞』から紹介してみよう。
 
  夕立のしぶき淡海をかくしけり 『一盞』

 「淡海」は琵琶湖のこと。淡海は、比叡山があり京都に隣接した古来より歴史に彩られた地をもつ日本一大きな湖である。激しい夏の夕立がくると、辺りは一変してかきくもり、大きな湖など、そこになかったかのごとく隠れてしまった。夕立が隠したのは、湖の大きさではなく歴史上の絢爛豪華な色であった。

  行きずりの銃身の艶猟夫(さつを)の眼 『銃身』

 次は、狩猟中の猟夫(さつを)に「艶」を見た鷲谷七菜子の心情を考えてみよう。
 吟行の山中で、行きずりに見かけた猟夫は、銃身を獲物に向けて構えている。その一部のスキもない姿から、自分を見つめている人が、たとえ美しい女人であろうとも、振り返ることのない男であることが伝わってくる。
 見向きもせずに何かに集中している男の姿はかっこいい、女性というのは案外、こうした男の姿に「艶」を感じるのかもしれない。
 この作品の季語は、「猟夫」を「狩猟」の傍題と考えて秋である。
 
  滝となる前のしづけさ藤映す 『銃身』

 この作品は、作者は「滝」が川の下手にあることを知っているのであろう。あるいは、滝の落ちている轟音が遠くに聞こえているのだろう。
 だが、目の前には崖があり、連なるようにして咲いている山藤が、瀞のようなしずかな川面に水鏡のように映っている。川面の藤の花の色は、水に映る新緑と重なって濃い色合いを見せていた。
 私の生地は大分県の竹田城の麓である。亡き父母の代わりに帰郷したとき、従兄が車で案内してくれた一つが、崖に咲き連なる山藤とその先にある滝であった。

 鷲谷七菜子(わしたに・ななこ)は、大正12年(1923)- 平成30年(2018)、大阪府生まれ。楳茂都(うめもと)流の舞踊家・楳茂都陸平と元宝塚歌劇団娘役の吉野雪子との間の長女。生後7ヶ月で楳茂都流二代目家元の祖父に引き取られ、祖父母によって育てられる。
 俳句は、高女時代よりはじめ、昭和17年より「馬酔木」に入会、水原秋桜子に師事。また昭和21年、「南風」に入会し山口草堂にも師事する。「南風」編集・発行に参加し、昭和37年より「南風」婦人投句欄選者。昭和59年、草堂の指名により「南風」主宰となる。昭和51年、『花寂び』で現代俳句女流賞受賞。昭和58年、『游影』で俳人協会賞受賞。平成17年、『晨鐘』で第39回蛇笏賞受賞。平成16年、「南風」主宰を辞任。平成19年、断筆を宣言。
 平成30年、気管支喘息のため死去。95歳没。