第二百三十八夜 橋 閒石の「ヒヤシンス」の句

 『秀句三五〇選 夢』を眺めている中に 、橋閒石の作品〈雪山に頬ずりもして老いんかな〉を見つけた。後期高齢者のなりたてであり「老」を考えてはいるが、一方で「夢」を未だ追い続けたいという最中でもある私は、橋閒石の「雪山に頬ずりもして」の、生への深い慈愛に感動した。
 そう言えば校正作業の中で、「閒石」の「閒」の文字が「間」になっていたり、訂正の指示をしても直ってなかったりして、いつも名前に苦労したことを思い出した。

 今宵は、永遠に若き老人である橋閒石の作品をみてゆこう。

  銀河系のとある酒場のヒヤシンス 『微光』

 句集は、『雪』『朱明』『無刻』『風景』『荒栲(あらたえ)』『卯』『和栲(にぎたえ)』『虚』『微光』『橋閒石俳句選集』の10句集である。
 第5句集『荒栲』の後記に「喜びも嘆きも、安らぎも苦しみも、病み衰えまで含めて一切遊ぶことを願って来たし、それらの句が人の目に映ることは、〈あそび〉の冥利に尽きる」と述べているが、橋閒石は、その信条のままに第10句集まで俳諧に遊んでいたと思う。

 素敵に歳を重ねてこられたことが写真からも伝わってくる橋閒石は、日本人ではなく宇宙人、年齢は億光年、いつでもふらりと訪れる酒場は、俳諧国に遊ぶ友で溢れている。そんなテーブルには、水栽培のヒヤシンスが似合う。

  蝶になる途中九億九光年 『卯』

 地球の怪獣や人(ひと)の成り立ちも、宇宙に比べれば僅か46億年前に始まっているが、「鳥になる途中」「魚になる途中」「蝶になる途中」「たんぽぽになる途中」を長い時をかけて今がある。
 そして今の地球も変化の途中かもしれない。
 そう考えると、「銀河系のとある酒場」の椅子に隣り合わせたことというのも実に不思議な縁である。

  蛍火の奥は乳房のひしめくや 『虚』

 蛍火の群舞の奥に乳房が犇めいていると捉えた俳人は誰もいないであろう。
 「蛍火」は、「燃える」「炎のよう」と形容されるが、オスがメスを引き寄せるための光で「冷光」ともいい、熱はないという。「乳房のひしめく」という光景はあり得ないのが「実」であるならば、この「乳房のひしめく」光景はメスの蛍のメタファーであり、「虚」であろう。また、橋閒石の願望かもしれない。

  詩も川も臍も胡瓜も曲りけり 『橋閒石俳句選集』

 虚実が綯い交ぜになった作品が多い中で、この句は頷ける。「詩」も「川」も「臍」も、曲がっていることがある。これらは曲がっていることによって風情となったり魅力となったりする。我が夫の畑の「胡瓜」は大抵は曲がっているが、野菜として売ることはできない。
 「曲がりけり」を持った4っつそれぞれが、「みんなちがってみんないい」。

橋閒石(はし・かんせき)は、明治36年(1903)- 平成4年(1992)、石川県金沢市生まれ。四高を経て京都帝国大学英文科卒。英文学者。神戸商科大学名誉教授。19世紀はじめの英随筆文学を研究。傍ら、昭和7年ごろから俳諧文学の研究に取り組み、創作も続けた。主に連句の研究と実作に傾注。昭和24年「白燕」を創刊し主宰。昭和33年、高柳重信の「俳句評論」に同人参加。
 昭和59年『和栲(にきたえ)』で第18回蛇笏賞、昭和63年『橋閒石俳句選集』で第3回詩歌文学館賞受賞。平成3年、連句協会より功労賞を受賞。
 平成4年11月26日、心不全により死去。89歳。