第二百四十三夜 土生重次の「浮寝鴨」の句

 土生重次には、俳句結社「扉」の主宰者として折々の指導語録がある。
 その一つ、「ヤキモチは作品に」を紹介してみよう。
 
 人は人に対してヤキモチをやきます。「扉」に集まる人は「作品に対してヤキモチ」をやいてもらいたいと思います。「人に対して」は「むなしさ」だけしか残りません。「作品に対して」は作句へのファイトが湧くし、結社としての活力につながるからです。創作集団はこうありたいと思います。
 
 同じ結社で学ぶ仲間ではあるが、主宰の選では順番がついてしまう。素直にいいな、と思う一方で、負けたくないという気持ちが確かに燃え上がる。本当だ、「ヤキモチ」はある。主宰は密かに願っているかもしれないが、会員に指導として告げるということは始めて知った。

 昭和57年刊行の第1句集『歴巡』から、作品をみてゆこう。

  浮寝鴨水の底より子守唄 

 浮寝鴨とは、波に揺られて浮き、波に揺られて眠っている鴨のこと。ぐっすり眠っているわけではなく、水面下の鴨の脚は水に流されないように動かしていると言われるが、この作品は、「水の底より子守唄」が聞こえているのだという。
 土生重次は、なんという安らかな世界を描いたのだろう。
 そして『秀句三五〇選 水』の編著者の倉田紘文は、「水底よりのその快い水の調べはまさに天与の子守唄なのであろう」と、鑑賞した。

  春闘の文字右にはね貨車の胴

 昭和50年の頃、私は「春闘」の激しかったことを覚えている。学生時代は中学から大学まで、山手線で通っていた。新宿も渋谷でも赤いプラカードが踊り、文字も勢い余って踊っていた。
 掲句では、貨車の胴体に貼ってある「春闘」の文字が右に跳ねていたという。
 時を同じくして、学生運動も盛んであった。私立校だったので学内での闘争はなかったが、駅の出口にはプラカードと募金箱を持った学生が、寄付を募っていた。今も鮮明な記憶として残っているが、真っ直ぐな澄んだ目で声をかけられたことであった。

  花ぐもり鳩のおくびやう鳩時計

 この作品は、時間になると「鳩時計」から飛び出てきて、ポッポーと鳴く鳩の、優しい鳴き声を「おくびやう」のようだと、土生重次は思ったのだろう。鳩のくぐもった声が、花の咲く頃の曇りがちな天気と、よく響き合っている。

  夕焼けや跼まりて聞くねだりごと

 夕暮れどき、子どもがお父さんを駅に出迎えた。手をつないで夕焼けのなか家路をゆく父と子。子は「ねえねえ、お父さん」と呼びかける。お父さんは立ち止まり、腰を落として子の目線に合わせて子どものおねだりを聞いた。
 「跼まりて聞くねだりごと」が、なんと素敵だろう。小さなわが子と同じ高さで目と目を合わせて子の言うことに耳を傾ける。
 こうして育った子どもは、父のような大人になるに違いない。

 土生重次(はぶ・じゅうじ)は、昭和10年(1935)-平成13年(2001)、大阪堺市生まれ。中学時代に叔父(実の異父兄)に俳句の手ほどきを受ける。学生時代は俳句と遠ざかるが、昭和45年頃に俳句再開、昭和49年、野澤節子主宰の「蘭」に入会。同編集長などを経て、平成3年、俳句結社「扉」主宰となる。結社主宰として活躍、定年退職後間もなく、健康を損ない、平成11年末で結社主宰を辞し、名誉主宰として、作句活動中心となる。句集は、『歴巡』『扉』『素足』『刻』。
 平成13年、肺炎にて死去。