第二百五十一夜 井沢正枝の「籐椅子」の句

 これまで井沢正枝の作品にじっくり触れることはなかった。今回、牧羊社の『現代の女流俳人Ⅰ 別冊俳句とエッセイ』を久しぶりに開くと、一人目が井沢正枝であった。
 穏やかな詠みぶりであり、言葉がうつくしく、一歩深く入り込んでいる世界に惹かれていった。
 好きな俳人の一人の「ホトトギス」系の皆吉爽雨の愛弟子であり、その後、爽雨の結社「雪解」主宰を継承した方であることも知った。
 
 今宵は、井沢正枝の作品をみてゆこう

  籐椅子や一日かならず夕べあり  『一身』

 定年まで会社員として働き、後には重要なポストに就いた井沢正枝は、夏には別荘で心身を休めていた。籐椅子は、一日の終りにはかならず「夕べ」があることを確認し、安らぎを蓄える大事な居場所であったのであろう。
 朝があり夕べがあることは、地球が太陽系の中で自転していることで自明のことである。作品には、こうしたことに目がゆき、心がゆき、「一日」「夕べ」という確たる言葉が詠み込まれている。きっと心の豊かな人であると思った。

  豆飯やこの日いつの日にか似る 『火欅』

 豆飯を食べた。一人で食べたのか友と食べたのか、そんなことはどうでもいい。
 ちょっとした塩加減、豆はふっくら煮えている、そう言えば幼い日、母と一緒に豆を莢から取り出して、しばらく水に漬けてから炊き込んだように記憶している。祖母がいて父がいて姉もいたあの日、卓袱台を囲んで食べた味だ。
 あの日の光景が懐かしい味とともに蘇ってくる。

  虹立ちぬそをくぐり訪ふ家あらば 『火欅』

 ある日、ドライブの帰り道のハイウェイの前方に、大きな虹が橋の如くに架かったことがある。行けども行けども、虹は前方にあって、潜り抜けたいとスピードを出してみるが叶わわなかった。
 「そをくぐり訪ふ家あらば」とは、「その虹の下を潜って、向こう側に訪ねてゆきたい家があったならば、そうしたいなあ」という希いである。

  解きがたくして地にかへし落し文 『火欅』

 「落し文」とは、オトシブミ科の昆虫の総称。初夏、くぬぎ、なら、にれ、などの広葉樹の 葉を筒状に巻いてその中に一粒の卵を産み、地上に落す。この筒状の葉を落し文に見立てたもので、夏の季題である。
 古人はなんとも床しい言葉を考えたものである。
 山道に見つけた落し文はくるくる巻かれている。なんとか拡げてみようとするが、固くて解くことができなかった。井沢正枝は、その落し文を元の地にそっと返しただ。
 「解きがたくして地にかへし」の古語から感じられる「落し文」への丁寧な扱いから、作者の心の奥深さが思われた。

  降る雪のをりをり裾をひろげ舞ふ 『晩蟬』3

 雪の降り方である。風が吹くと風のまにまに白い雪は形を変えながら地上に降りてくる。「裾をひろげ舞ふ」は、ときおり、強く吹く風が雪をぱあっと拡げた姿あろう。
 遠い昔であるがスキー少女であった私は、高校大学の6年間、冬になると何度も雪国へ出かけた。蔵王は大きなスキー場で、樹氷に迷い込んだりして怖い目にも遭ったが、今も、雪が降ると雪掻きを勇んでしている。

 井沢正枝(いざわ・まさえ)は、大正10年(1921)-平成20年(2008)、台湾生れ。旧制台南第一高等女学校出身。東京都在住。俳句は、茶の湯の相弟子の佐藤把雲の手引で皆吉爽雨に師事。昭和22年、「雪解」に入会。編集,発行全般にたずさわる。第1回雪解賞受賞。昭和58年、爽雨の没後主宰を継承。句集は、『火欅』『一身』『晩蝉』『井沢正江集』『湖の伝説』『路地の空』。享年86。