平成3年、深見けん二は、師山口青邨の没後に「F氏の会」から発展させた「花鳥来」を創刊主宰した。その後間もなく、小句会の1つとして「青林檎の会」が始まった。
けん二先生のご指導の下で、楽しく厳しく、俳句に関して何でも意見の言い合える句会であった。句会の後の二次会の雑談では、様々なことを教えていただいた。
15年目だったと思う。けん二先生は参加されなくなり、「自立せよ」ということであろう、季刊「青林檎」を作り、俳句界の方々に広く見て頂きたいという願いを込めてお送りするようになった。
令和2年夏号は第49号目、次号の秋号は第50号目となる。
今宵はまず、誌名「青林檎」となった「青林檎」の句を紹介させていただく。
青林檎旅情慰むべくもなく 『父子唱和』第1句集
虚子が小諸へ疎開していたとき、戦地から帰還した上野泰が俳句に興味を抱いたことに始まったのが稽古会である。その後、上野泰を中心とした東京の「新人会」や関西の波多野爽波を中心の「春菜会」などの若者を中心に、22年と23年に夏の稽古会が行われた。
23年は虚子は鎌倉に戻っていたが、稽古会は小諸で行われ、新人会の深見けん二先生も参加した。その後、富士山麓の虚子山廬で行われた稽古会では〈去り難な銀河夜々濃くなると聞くに〉〈離愁とは郭公が今鳴いてゐる〉と、抒情豊かな作品が生まれている。
掲句は、稽古会を終えて、ひとり帰京するけん二先生に汽車の中で食べるようにと、持たせてくれた青林檎であろう。「ホトトギス」に投句した作品に、「旅情は侘しい。青い林檎はあるが、それあるが為に殊に侘しい。」と虚子先生評があった。
この作品を、深見先生は「青林檎」の誌名に選んでくださり、表紙を捲ると、この句の色紙が載っている。「青林檎」の誌名は、この作品が生まれた頃の、切磋琢磨した稽古会の志も一緒に、私たちメンバーへ届けて下さったように感じている。
つぎに、「青林檎」第49号最新版から、9名の作品を紹介させていただく。入会した順である。
小圷健水(こあくつ・けんすい)さんは、「花鳥来」「秀」同人。
夕暮るる神田川風蚊喰鳥
双頭の高さ揃へて雲の峰
篠原然(しのはら・しか)さんは、「花鳥来」「秀」同人。
管絃祭満ち来る潮をひたに待ち
白波や晩夏の町の遠ざかる
山田閏子(やまだ・じゅんこ)さんは、「花鳥来」「ホトトギス」「秀」同人。
師と過ごすひとときみどりさす森に
噴水の弾みながらの高さかな
加藤あけみ(かとう・あけみ)さんは、「花鳥来」「ホトトギス」同人。
窓越の薔薇に始まる日々となり
夕風や吐息のやうな白き薔薇
原田桂子(はらだ・けいこ)さんは、「花鳥来」「藍生」同人。
神の田の水をぺろりと青蜥蜴
香水の一滴ある夜の一滴
水島直光(みずしま・なおみつ)さんは、「花鳥来」「ホトトギス」「秀」同人。
浮雲に音立てそよぐ新樹かな
岩を打つ音のよろしき造り滝
阿部怜児(あべ・れいじ)さんは、「花鳥来」同人。
籐椅子の父の凹みに背を預け
太平洋ひと泳ぎして男去る
桑本螢生(くわもと・けいせい)は、「花鳥来」同人。
並走の船へ手をふる船遊
沖へ向く姉妹都市の碑薔薇香る
あらきみほ(あらき・みほ)は、「花鳥来」同人。
夢いまだこりず候かたつむり
見せてあげやう夕焼の金の窓