第二百六十夜 小圷健水の「雪」の句

 平成31年、俳人協会の自註現代俳句シリーズ『小圷健水集』が出版された。
 健水さんが、深見けん二に師事したのは、昭和47年、同じ勤務先の日本工業中央研究所の俳句部に入部したことに始まる。平成元年に深見けん二主宰の「F氏の会」(平成3年に現在の「花鳥来」となる。)に入会。健水さんの略歴で、けん二先生の下で、48年も学んでいたことを、改めて知った。
 平成3年の「花鳥来」第一回目の句会には私も参加していたと思うが、健水さんは、18年も俳句の大先輩であったのだ。ある時、句会はひと月に何回くらい出席するのですかとお訊きすると、20回かな、という答えであった。
 
 「花鳥来」は、すべて吟行句会である。吟行に行けば、当日7句を投句する準備、午後には句会をして、二次会も含めると丸一日となる。私は、仕事のため欠席がちであったが、健水さんはその逆で、俳句のため、師の深見けん二に学び続けるために、転勤はせず東京で働き続けることに拘ったと聞いている。そうした俳人である。
  
 『小圷健水集』は、まさに50年近い句歴の結晶である。ご一緒している「花鳥来」「青林檎」での作品、第1句集『滝野川』、第2句集『六丁目』に編まれた作品が、さらに厳選されて並べられている。
 このシリーズは、一句ごとに、70文字ほど、短文が添えられている。句の背景も健水さんの心の背景も、ちらっと見せてくれているが、俳句と文章の距離感がたのしい。
 なにより、「深見けん二に師事」という言葉が、先生の俳句観に付いていった覚悟であることを、ずしりと感じることができた。
 『小圷健水集』は、その凄さであると思う。

 今宵は、この『小圷健水集』の作品を紹介させていただこう。

  月が出て星出て雪の降つてをり
 一見、えっと思う不思議な光景。月、星、雪を降らせる雲、それぞれ宇宙の中で高度が異なるから、このような現象も起こるのかもしれないが、健水さんだからこそ授かった景である。北国の秋田での景だという。

  しやぼん玉一直線に木に当る
 「花鳥来」例会で、ご一緒した光が丘公園で、大木の幹をめがけて飛んでいったしゃぼん玉を、あーっ、ぶつかる、壊れる、と、間近で見ていた記憶がある。

  影曳きてもどりてきたる月の人
 月見の作品の傑作であろう。「影曳きて」は、実際、月光を背に受けて月見から影も一緒にもどってくる情景だが、月見していた心も曳いたまま戻ってきたことが伝わる。
 
  姉が来てごまめ作りをはじめけり  
 『蝸牛新季寄せ』に掲載させていただいた句である。妻と妻の姉が健水さんの家の台所で並んで、新年用の「ごまめ」を作っている。手際よく美味しく出来上がった。
 少し前、お姉さまが亡くなられたことを、「青林檎」の作品で知った。
 
  定年のいとも簡単冬に入る
 この作品、昭和47年作の第1句目〈短日や急ぎ帰りて用もなし〉の自註で、けん二先生が「此の句に健水俳句の一つの原点がある気がする」と、句集『滝野川』の序文に書いてくださったとあるが、そう感じた通り、師の先見は凄い。
 以前は、先輩が定年で送るときには、送別会をしたものであったというが、この頃は「いとも簡単」、花束をもらって会社を出る。

  玉三郎と一つ照明初芝居
 玉三郎の舞台をご覧になったのだろう。たとえば、「一つ照明」とは、舞台の袖から登場する玉三郎をライトは舐めるように追ってゆくが、観客としてその照明の中に一緒にいる、ということを考えるだけで嬉しい。私もかつて、玉三郎の踊が観たくて一人で良い席のチケットを買って、玉三郎の眼と合ってキドキしたことがある。

 小圷健水(こあくつ・けんすい)は、昭和14年(1939)、茨城県日立市生まれ。昭和47年、日本工業中央研究所俳句部入部。深見けん二に師事。平成元年に、山口青邨没後の「夏草」で古舘曹人に師事、「屋根」で斎藤夏風に師事。平成4年、「木曜会」入会。平成20年「青林檎」代表。「屋根」終刊の伴い、「秀」入会、染谷秀雄に師事。俳人協会評議員。NHKカルチャーセンター光が丘講師。句集は『滝野川』『六丁目』。