第二百六十二夜 有馬ひろこの「日傘」の句

 平成8年(1996)、有馬ひろこ氏の第1句集『ザビエル祭』が富士見書房から出版された。その折に、私は「花鳥来」で句集評を書かせて頂いたが、高浜虚子―山口青邨に連なるという同じ系列にいても、これほどに作品の詠み方が違うことに驚きもし、魅了もされた。
 
 今宵は、その『ザビエル祭』からの作品を見てみよう。
 
  夜の日傘突きつつ歩む地より月
  
 日傘をさしての外出が夜までとなった。畳んだ日傘の先を杖のように打ち鳴らしながら歩いている。軽く打つ傘の感触とリズミカルな音によって、ひろこ氏が物思いに耽りながらメランコリックな気分になっていることが伝わる。
 目を上げると満月が上りかけている。「地より月」は、まるで地面を突いたから月が出てきたといわんばかり。上り始めの月は、赤味を帯び、びっくりするほど大きく見えたりする。
 
  雛の日もアプレゲールと言はれ過ぐ
  
 この句にあるように〈アプレゲール=戦後派〉がひろこ氏の原点であろう。思想・道徳・生活のすべてが見事に変化した終戦直後が青春真っ只中で、デザイナーとなったひろこ氏は、〈鵙の声よろこぶ血あり夫もわれも〉や〈死はすべて落葉の下にユトリロも〉などを詠む、時代を先取りする鋭い感覚の持ち主であった。
 
  わが夫は赤門の騎士五月祭
  夫へ告ぐ毬栗に指刺されしと
  乳母車ザビエル祭の鐘へ押す

 こうした新婚時代や生まれた嬰児を詠んだ作品に会うと、読み手はふっと心が和む。夫も嬰も全身を預けてひろこ氏のものなのだ。
 だが、ひろこ氏はつねに相反するものを見据えねば気が済まない。美の中に死、穏やかさの中に激しさ、生の中に不安などである。
 
  木枯しに赤く乾きしニグロの眼
  鞭ならし嬉々とし氷柱折るニグロ
  爽やかに人種別なく児の目澄む
  
 夫君有馬朗人氏は、研究者としてアメリカのシカゴに住み、後、人種差別の実態を知ろうと黒人街に移り住んだ(自註現代俳句シリーズ『有馬朗人集』より)という。
 筆者の私は、学生時代黒人文学に興味を持っていた。これらの作品が詠まれた昭和35年頃は、黒人たちは解放されていたが、公民権運動の真っ只中で、キング牧師のワシントン大行進はもう少し後であった。
 ニグロという言葉は、適切でないと思われるが、当時の、人間として見られていない〈人間〉である黒人の内面までも表現するには、逆に効果的であるかもしれない。
 人道的視野を持つひろこ氏は、「不安」を抱いている他者と忽ち同じ息づかいとなる。
 
 山口青邨主宰「夏草」の新鋭作家であったひろこ氏は、家庭に専念するために昭和40年から約25年間俳句の筆を折っていた。平成元年、有馬朗人主宰の「天為」創刊とともに、長いブランクなど微塵も感じさせずに主要作家として復活した。
 
 『ザビエル祭』は、筆を折るまでの昭和27年から昭和40年までの句が収められた第1句集である。最近の作品がないことを不思議に思ったが、読み了えて納得した。
 愛と葛藤の若き日の、心を研ぎ澄ませて詠み上げたこれらの作品は、ひろこ氏にとって特別なものであり、一つの宝石箱に丸ごと収めたいと思ったのであろう。
 ひろこ氏の俳句は、私たちを其々の青春の思い引き戻すものであり、若者にとっては、まさに共感できる普遍性を持った作品である。

 有馬ひろこ(ありま・ひろこ)は、昭和4年(1929)、東京生まれ。俳句は、深川正一郎に学び、山口青邨に師事。夫の有馬朗人は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。平成2年、山口青邨の没後にひろこ氏は朗人氏とともに、「天為」を主宰。