第二百六十六夜 高浜虚子の「虹」の句

 昭和32年の7月13日から16日まで、千葉県鹿野山神野寺の夏行句会が行われた。『句日記』の15日の句は29である。この日の句会の合間、籐椅子に身をやすめているときに虹を見たことで、虚子は、虹にまつわる様々なことが泛かぶままに心をたゆたわせたのであった。

  我生の美しき虹皆消えぬ

 小説「虹」四部作を書いた虚子にとって、虹と主人公の森田愛子とは切りはなせないことはもちろんであるが、掲句は「我生の美しき虹」「皆消えぬ」である。
 私は、過去形で詠まれた「皆消えぬ」の解釈に迷った。
 しかし、当日の句から、掲句は次のように考えてみた。

 鹿野山の上に虹が立っている間、虚子は籐椅子に半分うつらうつらしながら、思いは三国の愛子と虹へ彷徨っていた。虚子は自分の小説をなぞるように、三国で虹を見たときを思い出した。
 「虹が立つてゐる」
 「あの虹の橋を渡って鎌倉まで行くことにしましょう。今度虹がたつた時に……」
 「渡つていらつしやい。杖でもついて」
 「えゝ杖をついて……」
 の会話から始まる虹物語に現れた幾つもの虹の一つ一つが、走馬燈のように立ち現れるのを夢のように見ていた。やがて虚子から眼前の虹が消えるや、夢から覚めると夢の出来事が霧散してしまうように、虹への想いも悉く消えてしまったというのだ。

 雨の後の大空にかかる虹は儚く消えるからこそ美しく、人は虹を見ると希望を託すのであろう。
 病弱な境涯の愛子が俳句へのめり込み、師・虚子へ全身全霊を傾けたことは自然なことで、愛子の言う阿弥陀様を信仰するように純粋なものであった。
 虚子は愛子のロゴス的な愛を受けとめていた。そう考えてゆくと、美しい半円を描く虹は純粋な二者の気持ちを架け渡すものの象徴であるとも言える。
 しかし、下五の「皆消えぬ」も今ひとつ掴みきれないのを感じていたので、『虹』四部作を読み返してみた。「音楽は尚続きをり」の中の愛子の死の報せを受けたときの虚子の言葉が、数年前初めて読んだときにはどうしても納得できなかった。
 「愛子の死を聞いた時は、私は別に悲しいとも思はなかつた。私は愛子とは反対に、快くなつて来たのであるが、それを別にうれしいとも思はなかつた。」
 「虹」を書くきっかけとなった愛子の死に直面しての虚子の言葉として何と冷たい言葉であろうか、と思っていた。虚子の死生観が変わったとされる「落葉降る下にて」を読み直した。
 大正4年の作で、虚子の四女六(ろく)の没後に書かれた小説である。死を待つしか手の打ちようがなかった愛児の死に接した虚子は、「凡てのものの氓びて行く姿を見よう。」の考えに到った。
 「何が善か何が悪か、善悪混淆の現状そのままが成仏の姿であり、諸法実相ということはこのことであり、唯ありの儘をありの儘として考える外はない」というのが虚子の考えである。
 自然も人間も全てが天地運行の中にあり、花が咲いて散るように、葉が枯れて朽ちるように、人間もそれぞれの宿命を終えれば死ぬ。死も含めて人間生活の根底は人間のはからいを越えたものであり、これが諸法実相なのだという虚子の死生観に触れたとき、今まで納得出来なかった箇所が少しだけわかり始めた。
 
 眼前の虹が一時経つと消えてしまうことも、あれほど輝いた「虹物語」が色褪せて消えてしまうことになろうとも、それでいいのだ。
 再び虹が立つ時に「虹物語」は蘇る。
 虹は消えるもので、儚いから美しい。虚子は、「これから自分を中心として自分の世界が徐々として亡びて行く有様を見て行かう。」と、死をも達観している。
 「皆消えぬ」は諸法実相なのであった。