第二百七十夜 あらきみほの「風知草」の句

 ブログ「千夜千句」は、基本、その日に書いている。だが、今回の8月4日から6日まで二泊三日の長崎旅行は、きちんと時系列にせずに書きはじめてしまった。
 今宵は、第1日目の8月4日、夫の妹夫婦が長崎空港に出迎えてくれて、荒木家の墓参りをし、島原市へ向かった一日のことを、ブログの筆者あらきみほの旅俳句とともに、綴ってみようと思う。

  風知草よう来(こ)らしたとひと揺れす
  掃苔(そうたい)やいもとおととの手際よし
  蟬しぐれ父母のこと祖母のこと

 妹夫婦の小川家の玄関先にある、風知草の大きな鉢が、まず出迎えてくれた。「風知草(ふうちそう)」は夏の季題。イネ科の多年草。葉の裏が白っぽい ところから裏葉草(うらはぐさ)ともいう。葉形は線形でしなやか、途中で葉裏が見えるように折れ曲がる。なにより風になびく涼しげな草姿が一番の魅力である。
 「よう来らした」とは、「よく来たね」という意味だ。

  すずしさや島原城に虚子の軸
  清水湧く小流れをもち武家屋敷
  落し文さても不思議と見せ合うて

 キリシタン大名である有馬晴信の所領であった島原半島は、キリスト教の信仰が盛んな地であった。
 島原城を築いたのは有馬晴信の後の松倉重政で、戦にも民にとってもよく考えられた築城であったという。遺されている武家屋敷は、敷地内に入ることも土間から室内を見学することもできる。門の外には、道の真ん中を湧水が涼しげに流れている。飲み水にもなる生活用水であったようだ。

  ドーム涼し大岩小岩とんでくる
  大岩の吾に飛ぶ映写室涼し
  炎天やなほ焦げくさき死のにほひ
  
 10年近く前にも訪れていたが、ジオと火山の体験ニュージアム「がまだすドーム」は、今回も行ってよかった。というのは、このドーム自体も、展示品もほぼ同じであったが、平成大噴火シアターの映像は、火砕流・土石流の体験映像に「過去へタイムトリップ」「あの時」「未来へ」の3本を新たに加えてあった。
 「がまだす」は、島原の方言で「がんばる」という意味だという。

 島原半島の成り立ちから災害~復興までをドラマチックに再現されたおかげで、東京に育った私も、平成の大噴火だけでない島原半島の歴史をも大きく捉えることができた。

 やはり一番の迫力は、平成2年(1990)に起こった普賢岳の大火砕流の映像であった。映像だとわかっているのに、真正面へ繰り返し飛んでくる大岩小岩の土石流、焼き尽くされそうな勢いの火砕流の中を逃げ惑う人の姿は、その現場にいるようで恐怖であった。

  西日いま雲仙岳の向かふ側
  濃く淡く雲仙岳の夏夕べ
  夏霞噴火の山のしづかなり

 島原市は、西日や夕焼は雲仙岳に遮られた向こう側である。辺りはグレーの濃淡を見せながら、暮れ始めていた。雲仙岳というのは、知っている名前では、眉山、普賢岳などの山々が連なったものだから、微妙に色合いが異なっていて、かつて噴火した山々とは思えない静かさの、夕べの色が美しかった。