第二夜 深見けん二の「敗荷」の句

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  ふれ合はずして敗荷の音を立て

 「敗荷」は秋。平成三年に上梓された第四句集『花鳥来』の掉尾を飾った作品である。当時俳句を始めたばかりの私には景がうまく掴めなかった句であった。
 平成十一年に茨城県南に住むようになると、車で十五分で行ける手賀沼の蓮を毎月の定点観測のように訪れるようになった。沼の半分を覆うほどの広大な蓮田である。無論、この句の現場に立ってみたかったからである。
 
 八月に蓮の花が咲き、花が終わると台(うてな)ができて実が育ちはじめる。やがて蓮の葉は枯れはじめて「破れ蓮(やれはす)」となる。掲句の敗荷(やれはす)は枯れの進んだ姿だと思っていた。「敗」は敗れる(=破れる)であり、「荷」は蓮の葉のことであり、「破れ蓮」も「敗荷」も同じ姿であるが、「敗荷」の文字の方がより無残な姿が浮かぶからだ。
 晩秋、風に吹かれる敗荷を眺めていた。同じような丈の蓮の茎の一つ一つがあらん限りの力で揺れている。この頃の敗荷は茎と茎には隙間ができているが、風の強い日には触れ合うことがあるかもしれない。
 
 掲句の、聞こえた音とはどういうことなのか。夏の葉騒、秋の破れ蓮の乾いた葉騒、葉を落とした茎と茎との触れ合う音など、写生の鬼である先生は、蓮の立てる様々な音を耳にしていた。そう考えたとき、敗荷は互いに触れ合っていないのに、いま聞こえる筈のない音が先生の心に聞こえたのだと思った。かつて耳にした蓮葉の音だったのだ。敗荷が先生に届けた挨拶かもしれない。言葉として授かったのが「音を立て」であった。
 「重ねる、授かる」という信条を私たちに示し、俳句界に発表したのはこの頃であった。
 
 けん二先生との出合いは平成元年の四月、編集の仕事で俳句の基礎を学ぶ必要に迫られて、申し込みに行ったカルチャーセンターに入会し、偶然のように師事したことに始まった。先生は結社「F氏の会」を立ち上げたばかりで、新米の私も参加した。二年目には「花鳥来」と名を変えた。
 結社「花鳥来」が出来たばかりの頃に、私たちは句集『花鳥来』を頂戴し、出版パーティが高田馬場の飲み屋の畳敷きの二階で行われほとんどの会員にとって初めての句集出版という目出度い祝賀会である。誰もが、舞い上がって喜び、肩も膝も突き合わせ、興奮して俳句を語り、ほろ酔いを通り越していた。
 それから三十年余りが過ぎ、その間に、先生は俳人協会賞、詩歌文学館賞、蛇笏賞を受賞され、毎年の「花鳥来」の総会及び会員の出版記念会とたくさんの祝賀会が行われた。

 掲句は、私の俳句の始めの頃を思い出させてくれる。