第二百七十三夜 松尾あつゆきの「月」の句

 長崎旅行2日目も夕方となった。標高333メートルの稲佐山は、長崎港を見下ろす位置にあり、対岸の夜景が湾に映って美しく、函館、神戸とともに夜景3大スポットとして名高い。
 夫の実家は島原にあり、姉夫婦は長崎市内、妹夫婦は諫早市にいるが、じつは、稲佐山は50年ぶりであった。今回の2泊目、夜景が素晴らしいと薦められたのが、稲佐山中腹の清風ホテルであった。
 
 ここも行きたいな、あっ、あそこもしばらく行っていない。
 
 などと、私は、妹夫婦に長崎に来る前に伝えていた。
 8月4日、長崎飛行場に到着してからの妹夫婦のコース選び、ご主人である弟の運転は見事で、父母の墓参りから島原市へ流れるように組み立ててくれた。平成2年の火砕流の映像に痛む心は、夕暮れの穏やかな雲仙岳に癒やされるようであった。
 翌8月5日は、長崎市の平和公園からで4日後の8月9日の原爆記念式典の準備でおおわらわ・・次の原爆資料館では私たちの心は自然と原爆へ向かうことができた。
 この2つの大きな出来事を、昭和20年に生まれた私は、遅まきながら我が事として考える機会となった。
 
 35度の炎天下のグラバー園と出島は、これ以上は歩けない妹と私は、アイスコーヒーを飲みながら待っていた。
 
 さて、今宵の宿まで送り届けてくれた妹夫婦とは、ここでお礼を言って別れた。
 
 夕食の前に、露天風呂に入った。コロナの時期だからか夕食前だからか客は少なくて、テラス側の露天風呂は一人占め。夕暮れの風に吹かれながら、夜景になる前の長崎港を眺めた。
 夕食後からは、ひろびろとした窓ガラスの前の椅子に座って、百万ドルの夜景に向かった。長崎の夕暮れは東京と小一時間は遅い。徐々に街の灯が多くなり、その灯は長崎湾に影を長々と落とし始めた。灯の色も多彩で、風が仄かにあり、水影も揺れている。
 
 夏満月は昨夜だったなあ。
 稲佐山から、東の空ってどっちだろう。
 杖をついて外に探しにはいけないし・・。
 
 と、娘が叫んだ!
 真ん前に月が出てる!
 ほぼ、まん丸の赤い月よ!
 
 暫くして、また叫んだ。
 湾に月影が映っているわ。
 夜景の街の灯よりもうっすらと・・。
 
 東から上る月は、まっすぐに、ずんずん高くなる。
 このような角度から月見をしたのは初めてだ。
 何時間も眺めていたのに、窓ガラスが広いから、まだ見える!

 今宵は二度目となるが、この旅で出合った松尾あつゆきの月の句を見よう。

  この世の一夜を母のそばに月がさしている顔 松尾あつゆき

 昼前に原爆資料館で見た、松尾あつゆきの『原爆句抄』の句を思っていた。幼い子たちが母にぴったり寄り添っている顔だ。もう息も絶え絶えの子も、やっと母に這い寄ってきた子も、父の松尾あつゆきは「この世の一夜」と感じている、子らの顔の月光のなかでなんと神々しいことだろう。
 詠まれた吾子も妻も、俳句の中に生きている。
 
  夏の月まぜて百万弗の灯し みほ