第二百七十六夜 今井杏太郎の「棉の花」の句

 今井杏太郎の俳句は、精神科医として勤務医から貨物船の船医に転身した時に、「ホトトギス」の俳人だった船長、機関長らと船上句会をしたことに始まる。その後、医院を開業し、「馬酔木」同人に指導を受ける。「鶴」に入会したのは昭和44年、第1句集『麦稈帽子』を上梓したのは昭和61年であるから、すでに58歳である。
 作品に「老人」が多いことは、ご自身の年齢にも関係するが、精神科医として様々な患者を見てきたこともあるのだろう。
 
 前日の第二百七十五夜に紹介した大井雅人もそうであったが、今宵の今井杏太郎も、作品を調べてみるまでは、じつは強烈な印象を持ったことはなかった。只事にも見え、こんなに当たり前の俳句でいいのだろうか、と思っていたことは事実だ。
 ほんの少しのゆらぎ、ほんの些細なこと、気づいても素通りしてしまうことを詠んで、自身の作品のほぼ全てを占める俳人がいたことは、私には、大きな発見である。

 今宵は、「呟き」戦法とも呼ばれる今井杏太郎の作品を紹介させていただく。

  老人の名はペペ棉の花咲いて 『麦稈帽子』 

 「ペペ」の名と「棉の花」に惹かれた。船医として貨物船に乗って世界中に寄港してと思われる。インドやアフリカで見かけた棉畑では老人が棉の白い花を摘んでいた。名を訊くと「ペペ」という。〈老人が被つて麦稈帽子かな〉の句の老人は、もしかしたら、ペペではないかと想像すると、俄然たのしくなった。

  盆僧のひとの話をして帰る 『麦稈帽子』

 随分と昔であるが、夫の実家にお盆の墓参りに帰ったことがあった。毎年来るお坊さんは、地元の大きなお寺の住職さん。住職のお母さんと夫の母は、明治生まれで、村から二人東京の女学校に通っていた友人同士。そんなこともあって、毎年、お盆に来てお経を上げてくださるが、その後は、ざっくばらんな話となる。
 「ひとの話をして帰る」と、その場面をざっくり捉えたところが今井杏太郎なのであろう。普通はここでは止めない。

  馬の仔の風に揺れたりしてをりぬ 『麦稈帽子』

 この作品は、私は、「揺れたり」の「たり」をうまく捉えることができなかった。一見、何気なく、若者も使う言葉だからだ。しかし、生まれた馬の仔は、すぐに立ち上がろうとする。だが、風が吹けばよろよろと脚が揺れ、それでも又歩きだしたりする。生まれたばかりでなければ、走ることもあっただろう。馬の仔は、風が来て「揺れたり」もするが、他の動作もしていたのであった。
 「たり」は、並立助詞で、「・・たり・・たり」と2つ重ねて使う。

  凍滝に水の折れたるところあり 『海の岬』

 普通、水の状態では水が折れることはないが、凍滝は、少しずつ凍ってゆくから、凍った上に凍るとき、「折れる」という形になるのかもしれない。自然界ではいろいろな不思議が起こる。不思議に出合う人もいれば、生涯、不思議を見ることのない人の方がずっと多いだろう。

  寒ければ微笑んでゐる仏たち 「俳句研究」2005年

 「寒ければ微笑んでゐる」は、最初は、不思議な感じがしたが、仏の側から考えてゆけば自然である。仏さまは、いつだって微笑んだ口元をしていらっしゃるのだ。

 今井杏太郎(いまい・きょうたろう)は、昭和3年(1928)-平成24年(2012)、千葉県生まれ。昭和44年、田中午次郎の勧めで「鶴」入会、石塚友二に師事。昭和57年鶴賞受賞。平成7年「鶴」退会、平成9年、「魚座」創刊、主宰。平成12年、『海鳴り星』で第40回俳人協会賞受賞。平成18年「魚座」終刊。句集は、『麦稈帽子』『通草葛』『海鳴り星』『海の岬』『風の吹くころ』など。