第五夜 飯田蛇笏の「芒」の句   

  をりとりてはらりとおもきすすゝきかな  飯田蛇笏
 
 歳時記によって「折りとりて」と一字だけ漢字である場合もあるし、「をりとりて」と全部平仮名である場合があるが、蛇笏自身も少しづつ変化していたのかもしれない。私は、平仮名だけの場合の方が、芒の清楚な美しさが出ると思う。散策の途中に一本の大きな穂芒をふと折り取って肘に抱えたときのことだ。その瞬間、重たい穂の部分がだらりと垂れ、芒ははらりと美しい乱れを見せた。
 
 その穂芒をわが腕にしたときの頼りない実感を、重さとして感じた蛇笏だが、漢字で表すと「重き」は強く響きすぎると思ったのではないだろうか。そして、十七文字の全てを仮名にしてみた蛇笏は、芒の儚げな美しい透明感が生まれた、と納得したのではないだろうか。
 大野林火は「“はらりとおもき”と視覚から触感に移る呼吸がこの句の美しさである」と鑑賞し、山本健吉は「視覚的な美しさが、すべての重量に換算され、折り取った瞬間のづしりと響くような重さを全身で感じ取ったような感動である」と鑑賞した。

 飯田蛇笏は、一八八五(明治一八)年に山梨県境川村に生まれた。早稲田大学在学中の夏休みを高浜虚子の「俳諧散心」句会に最年少で参加。大正2年には、虚子が俳壇に復帰後の「ホトトギス」で、気迫に満ちた格調の高さが特徴の蛇笏俳句で活躍するようになった。後に境川村へ戻り「雲母」を主宰する。

 二十年前、私は茨城県南へ転居した。住まいのある取手市から車で少し走れば、街道沿いにも沼辺や川辺にも空地がいっぱいあり、秋になると、芒が美しい穂を見せて風に光っている。芒の見事な群生地を抜けてゆく度、毎日見ることによって毎日の変化を見せてくれることが、うれしくなった。なにしろ、東京住まいの頃は、芒が見たくなると、一番美しい時期を見計らって富士山麓や箱根の仙石原へドライブしていたのだから。

 この地で日々芒を見つづける中で、初めて、穂の美しさに気づき、穂先をほどいたばかりの芒の柔らかく美しいことに気づいた。さらに近寄ってみると、穂に小さな黄色の蘂がびっしりとついていることに気づいた。当たり前だが、どの植物も花をつける。芒だって花の咲くことは頭ではわかっていたけれど、蘂を間近に見たことで「やっぱり花なんだ!」と合点した。