第二百八十八夜 阿波野青畝の「蓑虫」の句

 暫くは、秋の虫の句を探してみよう。
 蓑虫を知ったのは、小学校の理科の時間に教わった帰り道で、普段は女の子に意地悪な男の子が、「ほら、これがミノムシなんだぜ」と、教えてくれた記憶がある。ミノムシは木にぶら下がっているから怖くないが、芋虫だったら大変だ。つまんで女の子を追いかけ回すのだから。
 講談社刊『カラー図説 俳句大歳時記』、蝸牛社刊『秀句三五〇選21 虫』、蝸牛俳句文庫『阿波野青畝』を探した。

  みのむしの此奴は萩の花衣 『宇宙』
 (みのむしの こやつははぎの はなごろも) 
 
 蓑虫の例句を調べた中で、私には、他にない独特な視点を感じた。蓑虫は、ミノガの幼虫で、蛾になる前は、木切れや葉っぱを口から糸を吐きながら蓑を綴って袋を作ってそこに棲むという。私たちがよく見る蓑虫は大抵は枯枝の中にいる。
 掲句は、此奴(このミノムシ)は、萩の花で作った蓑を纏っているというのだ。此奴と言ったのは、蓑虫の分際で、なんとまあ粋でお洒落な蓑を纏っていることよ、と感嘆しているからだ。〈蓑虫のぬき衣紋してをどりをり〉という句も詠んでいる。「ぬき衣紋」とは、少し首筋まで見えているのだろう。
 「萩の花衣」「ぬき衣紋」という具体的な言葉が、蓑虫ではあるが、生き生きした様相を見せてくれている。

  虫の灯に読み昂りぬ耳しい児 『萬両』
 (むしのひに よみたかぶりぬ みみしいご)
 
 阿波野青畝は、ホトトギスの「四S」と言われる作家の中では、ユニークな感性の作品を詠んでいる。小学生の頃より左の耳が聞こえにくく、そうしたこともあってか、俳句は感情を顕に詠んでいた。
 師の虚子は、「主観的な人ほど客観的にものを見る修練が大切です。」と、青畝を諭したという。
 掲句は、自画像のようにも思われるが、青畝の自註によれば、幼い頃の自分を客観写生して詠んでみた作品であるという。「虫の灯」とは、誘蛾灯のようなものだろう。この光の下で、夢中になって本を読み耽っている「耳しい(耳が聞こえない)児」の姿を俳句に描き出した。 

  落し文もがなと身を伏す虚子の塔 『宇宙』

 比叡山の横川中堂の入り口に「虚子の塔」が建っている。高浜虚子は、明治40年、時比叡山に登り『叡山詣』を書き、横川中堂の政所一念寺に泊って『風流懴法』を書き、比叡山は深い縁がある。昭和28年(1953)10月に逆修爪髪塔として供養塔が建立されたのがこの「虚子の塔」である。
 弟子の青畝は、お参りに行った「虚子の塔」の前で落し文を見つけた。
 落し文は、広葉樹の葉を巻いて巣を作り一粒の卵を産み付ける虫のことで、江戸時代など恋文を密かに渡すためにわざと庭に落としたという手紙に似た形をしているところから名付けられた。
 掲句は、青畝の見つけた場所が「虚子の塔」の前であることから、とうに亡くなられた師の虚子からの手紙であったらどんなに嬉しいことかと屈んで見たという。阿波野青畝は、明治32年生まれで平成4年に亡くなられている。
 虚子恋の作品のようである。