むらぎもの色に燃えけり古暦 高橋睦郎
季題「古暦」は虚子編『新歳時記』に「新しい暦が配られると、それまでの暦は古暦となるのである。年の暮れるまでは未だ古暦にも用がある。四・五枚になったカレンダーも亦古暦である。」とある。
年の暮には、新年の暦に掛けかえる。作者は改めて、残り少なくなった古暦を眺めた。「むらぎもの」は、心の働きは内臓の働きによると考えられたところから「心」にかかる枕詞。「燃えけり」は、例えば庭で燃やしている光景も浮かんだが、季題「古暦」の本意から外れるように思った。
作者は、その古暦をゴミとして燃やしているのではなく、残り少ない暦の日数を眺めながら、来し方を思うと、仕事に励んだこと、挑戦もしたこと、喜んだり悔やんだりもしたこと、そうした一年間の一日一日が心の色となって燃え立つようであったと詠んだのであろう。
高橋睦郎は、1937(昭和12)年北九州の生まれ。
句歌集『稽古飲食(おんじき)』のあとがきに「詩人とは、詩というマグマの奔出のためのたまたまの噴火口、自分がその作品の出口に選ばれただけである。」と書いた。
詩人、歌人、俳人、新作狂言作家と、多方面に活躍する著作から、高橋睦郎氏そのものがまさに、巨大な詩のマグマとして現れ、溢れるマグマは、あるときは現代詩となり、俳句となり、短歌となって流れ出す。詩型を使い分けるということは、俳句においては、とりもなおさず「俳句とは何か」を真剣に問うことであろう。
「遊び」には必ずルールがある。大きな意味で詩というジャンルの中の俳句という型式を選んだのであるからには、自分の詩心すべてを無理に十七文字に入れてしまおうとするのではなく、「俳句とは何か」を問い、ルールを学び、ルールに従って遊ぶことが本当の「俳」なのである。
『私自身のための俳句入門』の中で睦郎氏は俳句の特色を、次のように述べている。
「詩(ポエジー)を季という契機において捉えようとしたものが俳句という詩(ポエム)だった。俳句が俳句として生き残る道は中心を季に置き、季の本質をさぐりつづけることしかない。」と。