第八夜 星野立子の「落葉」の句

  赤き独楽まはり澄みたる落葉かな  星野立子

 そろそろ落葉の時期でもあるので、昭和六年十一月二十七日の戸塚の親縁寺での句を紹介してみよう。星野立子著『玉藻俳話』には、立子俳句が詠まれた時の前後の模様が書かれている。

  独楽もつて子等上り来る落葉寺
  赤きこままはり澄みたる落葉かな
  赤きこまくるくるまはる落葉かな
  独楽二つぶつかり離れ落葉中
  落葉中二つの独楽のよくまはる
  あばれ独楽やがて静まる落葉かな

 六句が並び、『玉藻俳話』には次のように子ども等の様子が書かれている。
 「(略)帯もまじめに締めていない二三人の子供等が、下の小さな家の方から正しい道も通らずにまっすぐに上って来て、一面の深々とした銀杏落葉の中へ、さっと独楽の紐を引いた。よごれた用い古した独楽も、よくまはってくると、まっ赤な筋を一本美しく浮かばせて、いつまでもいつまでも落葉を蹴散らし蹴散らしまはっていた。」

 独楽遊びを詠んでいるように感じるが、この句の季題は「落葉」である。
 
 一句目、「落葉寺」という造語で深々と落葉の散り敷かれた境内での独楽回しの様子が見えてくる。
 二句目、この作品が立子の句として残っている。中七の「まはり澄みたる」の措辞の力であろうか。よく回ってくると独楽は「真っ赤な筋を一本浮かばせて」、やがて独楽は、模様の色は消えてしまい、「澄んだ」色を見せていることに気づいた。茶や赤や黄の落葉の色の中でこその把握である。
 
 一句目と二句目がどう違うのか考えてみよう。客観写生句は一句目であろうし、客観写生から一歩進んで、「澄みたる」を得た句が二句目であると言ってよいと思う。のちに、原句の「こま」は「独楽」と漢字に変え、虚子編『新歳時記』には「独楽」の表記で、季題「落葉」の項目にある。

 こうして、映画のワンシーンを見るような六句並べた作品を見てゆくと、立子の心の動きから、句を詠んだ過程がわかるし又、どの句を最終的に残すかという示唆ともなった。

 昭和二年頃になると、「ホトトギス」で頭角を現した虚子の次女立子は、虚子に勧められて、俳句雑誌「玉藻」の主宰者となった。女性では初の主宰者である。虚子は「玉藻」第二号に、次のように創刊の祝意を述べている。
 「高き意味の写生──最も正しき意味の写生に精進を、「玉藻」の立子や若き俳人に俟つ。」
 また、法隆寺夢殿の行信僧都の乾漆像を例にあげた。
 「……今でも政治家の群にその一人を見出すような、現実味のある、写生のたしかな、何の誤魔化しもない、堂々たる、それでいて微塵も世俗の気のない、崇高なこの像に満腹の敬意を表するものである。写生もこの域に達せねばうそである。」

 虚子が毎号「玉藻」に寄せた「立子へ」と題する文は、俳論・人生論など毎号それぞれの雑感であるが、俳人として主宰者として立たねばならぬ立子へ、父虚子がありったけの愛をこめた帝王学の指導書と言える。