井上まことさんの義父は「夏草」主宰であった山口青邨である。
25年以上も前になるが、当時、私も所属していた斎藤夏風先生の「屋根」の句会でお会いして、お話をさせて頂いたことを思い出している。その後、著書『季語になった魚たち』(中公文庫)をお贈りくださった。
海に囲まれた日本人は、古来、魚に関するものと深くかかわってきた。
春の「鰆(さわら)」「桜鯛(さくらだい)」「花烏賊(はないか)」、夏の「鯖火(さばび)」「青葉潮(あおばじお)」、秋の「秋刀魚(さんま)」「鰯雲(いわしぐも)」、冬の「鰤起し(ぶりおこし)」「鱈場蟹(たらばがに)」、「柳葉魚(ししゃも)」など、歳時記には多くの美しい季語がある。
俳句をしていなかった頃は、魚の名を、漢字で読めるものも書けるものも僅かであった。
井上まことさんは、魚の行動や習性を利用した漁法の研究者であり、山口青邨門下で俳句を身につけた方なので、魚を詠んだ俳句を、科学的に鑑賞しているところが魅力である。
今宵は、井上まことさんの魚の薀蓄とともに紹介してみよう。
旗魚跳ぶ銛三本を背に負ひて 井上まこと
(カジキとぶ もりさんぼんを せにおいて)
旗魚の漢字を見たのは初めてだ。日本の近海では捕れないし、しかも魚屋では白身の切り身として売られている。
学生時代に文庫本で読み、映画館で観たヘミングウェイの『老人と海』を、この夏、テレビ映画で観た。老人となった一本釣りの漁師と巨大なカジキマグロとの3日間にわたる死闘であった。
井上まことさんは、正確には、メカジキであるとしている。
掲載句にハッとしたのは、中七下五の「銛三本を背に負ひて」の措辞であった。メカジキと老人との死闘の最終の攻撃は、銛を背に打ち込む。だが、背では死なない、心臓に打ち込まないと死なないという。メカジキが息絶えるまでにどれほど時間を要したか。
この銛は「突きん棒」と呼ばれ、5メートルほどの棒に300メートルの矢縄と銛先が付いている。
老人が舟出をして浜に戻って来たのは、84時間後の4日目であった。3日間は死闘であった。目指す獲物に出合わなかった老人は、遠くまで来てしまった。ついに老人はメカジキを討ち取ったけれど、メカジキは、浜へ戻る途中でサメの餌食となってしまった。老人は、骨となったメカジキを船側に縛ったままの帰途となった。
魚の研究者は、実際に現場に立つのだろう。もう一句紹介する。
ごんずいのおどろくときも群とかず 細見しゅこう
掲句の作者細見しゅこうは、明治42年兵庫県に生まれ、生涯を富安風生門を貫いた「若葉」同人。驚いた魚は分散することが多いのに、ゴンズイはかえって群を強固にすることを、地元の明石の水族館で観察して句にしたという。
ゴンズイ(権瑞)は春の季語で、ナマズ目の海水魚。ギギ、ハゲギギ、ググといった、地方ごとにさまざまな呼称がある。
魚群の研究者である井上まことさんは、本著で次のように説明している。
幼魚はゴンズイ玉と呼ぶ団子状の群を作る。これは英語でポッド(豆のさや、あるいは小鳥の小群)といわれる防御態勢である。
また魚群は、英語でスクール(学校)といい、魚群と学校の共通性は「集団の統一性」にあるという。
私は、ごんずいの魚群は見たことはないが、小魚の鰯(イワシ)の巨大な群をBSテレビで観たことがある。大きな魚のようにみせて外敵の攻撃を防ぎ、それは種の保存のためという説がある。
井上まこと(いのうえ・まこと)は、昭和2年(1927)東京に生まれ、北海道札幌に育つ。農林省水産講習科専攻科卒業。東京水産大学教授、同大学名誉教授。農学博士。専門は魚群行動学。漁法学。1979年、日仏海洋学会賞を受賞。「夏草」「天為」同人、「屋根」会員。主な著書に『魚の行動と漁法』『魚群―その行動』『漁具と魚の行動』『魚の目は泪―魚と俳句』『季語になった魚たち』など。