第九夜 杉田久女の「足袋」の句

 足袋つぐやノラともならず教師妻  杉田久女

 杉田久女の俳句との出会いは、高校時代の授業で習った「足袋つぐやノラともならず教師妻」が最初で、中七の「ノラともならず」がとても新鮮に響いたことを思い出す。大正十一年作のこの句はホトトギスに発表されて評判になり、久女が俳人としての名を一気に上げた作品である。ノラは、イプセンの戯曲『人形の家』の主人公で、妻を人形のように扱う夫から自立しようと家を出たことから近代女性の象徴だと言われる。日本の演劇界では明治四十四年に松井須磨子がノラ役で初演をして評判となっていた。
 
 「ノラともならず」と詠んだ久女に、俳句界ではその題材の新鮮さに驚き喝采した。「ならず」と否定形だが、「ノラ」の文字に潜むものは、ノラのように新しい女になりたいという久女の心であり、どこか舞台女優の科白のようでもあり、高踏的雰囲気も漂う。芸術家と結婚した筈なのに、地方の中学校図画教師のまま一枚も絵を描こうとしない夫に憤懣を抱いている久女の姿が、この句の「ノラともならず教師妻」であると、私は長いこと思っていた。しかし今は少し違う考えである。
 句意は次のようであろう。
「私は、時代の新しい女性・ノラのようにはならずに一教師の妻として、家庭を守り、こうして足袋を繕っているのです。」
 
 久女は後の昭和十一年に、一筋に神と崇めた虚子とホトトギスから同人除名という辱めの処遇を受けた。そのとき、共に除名となった日野草城や吉岡禅寺洞、親交のあった水原秋桜子らの新興俳句陣営に移ることもせず、ホトトギスへの投句を連綿と続けた。
 私は驚いた。ずかずかと一直線に進むと思われた久女なのに、方向転換する気配すら見せなかった。
 そこに気づいたときに、掲句は、季題「足袋」から鑑賞しなくてはならない、それが虚子の教えであることに思い至った。私の祖母は、足袋も靴下も、指先や踵など裏から布を当てて、一針一針と丁寧に繕っていた。貧乏だから繕うのではなく、当たり前のこととして物を大切にしている気持ちが「足袋つぐや」である。
 久女と夫は離婚話が持ち上がるほど夫婦仲は悪かったが、何より子どもを第一に考えて離婚は思い止まり、キリスト教へ入信したのもこの頃である。このように、努力し、忍耐していこうとする一面も久女にあった。ノラになれる女であれば別の道が開けたかもしれない。
 
 杉田久女は明治二十三(一八九〇)年、官吏である父の当時の勤務先の鹿児島市に生まれ、琉球と台湾に五歳から十二歳までを過ごした。多感な空想児として育った久女は、お茶の水高等女学校を卒業後十九歳で、東京上野美術学校西洋画科出身の杉田宇内と結婚した。宇内は大庄屋の長男だが金銭的援助はなく、北九州小倉で中学校の図画教師として奉職し、二人は生涯を地方都市で過ごすことになる。俳句のきっかけは大正五年二十六歳のとき、次兄の赤堀月蟾(渡辺水巴門下)の手ほどきを受けたことによる。
 昭和二十一年一月、太宰府九大分院筑紫保養所にて死去。