第二百九十八夜 加古宗也の「残暑」の句

 加古宗也さんは、出版社蝸牛社が新しい俳句シリーズをスタートしたテーマ別『秀句三五〇選』で、第9巻目の「月」の編著者として書いてくださった。
 最初にお目にかかったのが、愛知県西尾市のご自宅で、当時は義父であり俳句の師である富田潮児先生もご健在で、お会いしたと夫の荒木から聞いていた。
 
 富田うしお、富田潮児父子は、加古宗也さんの俳句の師であり、群馬県高崎市の村上鬼城の門下であった。当然のことながら、加古宗也さんも村上鬼城の作品が大好きであろう、ご自宅には、鬼城の作品が大きく襖絵となって飾られていたという。

 今宵は、加古宗也さんの鑑賞させていただこう。

  残暑なほ閻魔が持てる閻魔帳 『八ツ面山』第2句集 

 本日は9月6日、時には涼しい日もあってもいいのにと思うが、連日の残暑の真っ只中である。「閻魔」は亡者の罪に判決を下すという地獄の王である。閻魔大王は、抜かりなく悪業の一つ一つをちゃんとメモしているのだ。それが閻魔帳である。
 このような地獄の釜茹でにあっているような暑さの中では、閻魔大王もいるような気がしてくる。私も、振り返ってみれば、無欠ではないから閻魔帳にいくつか書かれているかもしれない。
 季題の「残暑」と「閻魔」「閻魔帳」の取り合わせが、暑苦しいほどで、何だかいい。
 
  鬼城忌の山河きちきちばつた飛ぶ 『茅花流し』第5句集

 私の師は、虚子の最晩年の弟子の深見けん二。俳誌「花鳥来」では、会員が虚子研究として虚子及びホトトギスの作家の作品の鑑賞を試みた。虚子が、高崎の俳句会で当日特選となった村上鬼城に近づいて、貴方が鬼城さんでしたか、と声をかけた。その後の村上鬼城の活躍は目覚ましい。〈川底に蝌蚪の大国ありにけり〉など、私の大好きな世界となった。
 掲句は、鬼城の住んでいた群馬県の山河であろう。利根川があり、西は赤城山から軽井沢へ向かう山地である。「きちきちばった」は「精霊飛蝗(しょうりょうばった)」とも言う。鬼城忌は9月17日。鬼城の霊魂のごとく「きちきちばった」が飛んだ。忌日には毎年のように詠まれるのであろう。
 『蝸牛 新歳時記』の鬼城忌の例句は、加古宗也さんの〈明日は鬼城忌吾は赤城の湯に浸る〉であった。

 加古宗也(かこ・そうや)は、昭和20年(1945)、愛知県西尾市生まれ。中央大学法学部卒。昭和45年、村上鬼城の弟子の富田うしほ・潮児父子に師事。俳誌『若竹』主宰。平成22年、第3句集『花の雨』で日本詩歌句大賞受賞。句集は、『舟水車 句集』『八ツ面山 加古宗也句集』『花の雨 句集』『雲雀野 加古宗也句集』『茅花流し』。