第三百一夜 菊池麻風の「蓑虫」の句

 『自註・菊池麻風集再誦』は、平成29年10月30日、俳誌「麻」50周年記念会の1年後、嶋田麻紀主宰より贈呈くださったものである。
 本著のあとがきに、嶋田麻紀主宰は、こう書いている。
 「この『自註・菊池麻風再誦』は、自註句集収録の三百句について、恩師麻風の作品、自註に、わたしの呟きを記したもので、麻風没後の昭和58年1月から平成19年までの約25年間の「麻」に連載したものを、そのまま一本とすることにした。私が「麻」を引継いでからまもなく35年となるので、創刊者の作も人柄も知らない方が増えている。この再誦が何か麻風を知るきっかけとなれば幸いである。」と。

 「自註」とは、昭和56年に俳人協会より刊行の『自註現代俳句シリーズ・Ⅳ期20 菊池麻風集』のことである。
 菊池麻風が亡くなられて、間もなく40年近くなる。
 このブログ「千夜千句」を書きながら、私も、あっという間に忘れている俳人や名句の多いことに驚いているが、大歳時記、句集、私どもの出版した『秀句三五〇選シリーズ』などで、再びハッとする作品に出会うことがある。
 そして、結社、師系、俳友など、繋がっていることの何と多いことか、そうした不思議にも出合っている。

 今宵は、菊池麻風の自註と嶋田麻紀主宰による更なる呟きの力を戴きながら、紹介させて頂く。

  蓑虫の孤を思ふとき人孤なり 『自註・菊池麻風再誦』

 麻風の自註は、「斎藤空華に〈蓑虫や思へば無駄なことばかり〉の句がある。」の、短い一行であった。
 渡辺水巴主宰「曲水」の同門の空華が昭和25年に亡くなった際、没後に『空華句集』が句友たちにより刊行されているが、麻風もその一人であった。病床俳句の金字塔を打ち立てた波郷の『惜名』の境涯と響き合う『空華句集』を世に出したことを、麻風は生涯誇りにしていたと、嶋田麻紀は書いている。
 このブログ「千夜千句」の第245夜は斎藤空華であった。「曲水」の弟子であることと「蓑虫」の句で、麻風と空華は繋がった。

 掲句は、枯葉や木切れを集めて己の蓑をこつこつ作り、木の枝にぶら下がって一生を過ごすという蓑虫を詠んだもの。雄は生長して蛾になるが、雌は蓑の中で産卵し一生を過ごすという。一木に幾つもの蓑虫がぶら下がっていても、一つの蓑には、雄であっても雌であっても一匹ずつだという。蓑虫も「孤」であり、蓑虫を見ている人も又一人ひとりが「孤」である。

 火蛾美しや死のひらめきのいのちなれば 『自註・菊池麻風再誦』 
 (ひがはしや しのひらめきの いのちなれば)
 
 自註は、「速水御舟の火蛾炎舞を見ての作。〈火蛾美しやいのちあるもの燃ゆるなり〉〈炎あれば夜陰を出でて火蛾となる〉同時作。火蛾ならずとも。」とある。
 掲句の「死のひらめきのいのちなれば」とは、火蛾自身が、美のためには命を賭しても火の中に身を投じよう、という生き方をしようとしてると言いたいのであろうか。速水御舟の作品を観る人は、こぞって火の中に飛び込んでゆく蛾の群舞に美を感じる。
 麻風自身もまた、俳句の美のためには蛾のごとく命だって捨てようという覚悟が「火蛾ならずとも」の言葉となった。

 菊池麻風(きくち・まふう)は、明治35年(1902)-昭和57年(1982)、栃木県日光市生まれ。高校卒業後に三菱銀行勤務。昭和3年、俳句を渡辺水巴に師事。昭和4年、「曲水」同人。昭和39年、第一句集『春風』。昭和43年、俳誌「麻」を創刊主宰。昭和57年、逝去、行年80。