第三百三夜 高浜虚子の「花芒」の句

 取手市の利根川は、広い河川敷が緑地運動公園となっていて、どんど焼き、凧揚げ大会、花火大会など様々な行事が行われる。東京から越してきた当初は、なにもかも珍しくて、情報が入るや、犬の散歩も兼ねて、どんな行事も見に出かけた。
 大正時代に利根川の大改修の際にできたという、取手市の対岸の小堀地区と市街地を小舟で往復する「小堀(おおほり)の渡し」もある。大河ならではのことであろう。
 
 私は今、茨城県南、筑波山、つくば植物園と、仲良しの芒がある。この地で稲の花にも出合ったが、ある会館の近くで、芒の花にも出合った。尾花、花芒は、歳時記で調べると、「穂芒」を指しているようであるが、その「穂」に小さな花が咲いているのを見た。
 二度しか見ていないので、時折、幻だったかと思うことがある。稲の花も、一日の数時間しか咲かないというから、芒の穂から出た花も短い命なのであろう。
 
 数日前、取手の土手に秋草を探しに出かけたが、芒原も芦原も、ほぐれたばかりの穂はやわらかな色合いで風の中で揺れていた。
 
 その後、「千夜千句」のために「芒」の例句を探した。講談社の『カラー図説、大歳時記』に、高浜虚子の句で、『虚子五句集』では見かけなかった作品を見つけた。
 虚子のことを尋ねれば、何でも知っていて調べてくれる友人にメールをした。すぐに応えてくださった。『年代順虚子俳句全集』で、確認できたという。
 この作品が詠まれた日が昭和2年9月10日、今宵のブログの第303夜が、93年後となる令和2年9月10日である。毎日、季節を追いながらの俳句のブログなので、こうした日付の一致という不思議にも出会えるのであろうか。
 
 今宵は、虚子の次の作品を見ていこう。

  花芒月にさはりし音なるかや  高浜虚子
 (はなすすき つきにさはりし ねなるかや)

 この句の前書は、「席上宮川氏の尺八をきゝて」。詞書には、「観月句会。品川、川崎屋。会者、秋桜子、水竹居、素十、丶石(ちゅせき)、秀好、花蓑、たけし、岬人、漾人、眉峰等十五名。」とある。この句会は、決まった日にち、決まったメンバーの句会ではなく、観月のために有志が集ったものであろう。
 前書と詞書があることで、作品の背景が少しづつ解けてゆく。
 
 句意は、こうであろう。その夜の観月句会では、尺八の名手の演奏があった。尺八という木管楽器から奏でる音色はやさしく、時に鋭い音色となる。この音色が、夜空の月まで上って、月に触れたというのだ。
 この「月にさはりし音」という実際にはあり得ない措辞に、私はまず惹かれた。「音が月にさはる」とは、まさに、急に「鋭くなる」という尺八の音色であろうと思った。「触る(さわる)」という表現は、虚子ならではの創造的感性である。