第三百五夜 深見けん二の「銀河」の句

 昨日は二百十日。残暑も厳しく、この頃には台風もよくやってくるという日で、夜空には、星も、まして天の川(銀河、銀漢)がはっきり見えるほど澄んではいない。
 夜の9時にゆく犬の散歩では、ここ数日、地平から半分ほどは雲で覆われていたが、その上に、一等星がぽつんぽつんと輝いていた。
 
 今宵は、『深見けん二俳句集成』の秋の作品から「銀河」の季題を考えてみよう。

  去り難な銀河夜々濃くなると聞くに 『父子唱和』第1句集

 昭和26年の作。虚子が小諸に疎開している昭和20年の年末、六女章子の夫の上野泰が戦地から帰還した。
 次女の星野立子も近くに疎開しているし、また虚子は、虚子を訪ねてくる人たちと必ず句会をすることがおもてなしであったことから、次第に、泰は俳句に夢中になり、やがて稽古会という名の句会が始まった。
 泰を中心とした東京の「新人会」と大阪の波多野爽波を中心とした「春菜会」が生まれ、虚子は若い俳人の育成を図った。
 
 掲句は、小諸ではなく山中湖畔の「虚子山盧」で行われた稽古会であった。稽古会は、「新人会」「春菜会」だけでなく、数日かけていくつもの句会が行われた。その一つの句会に参加しての帰途の思いであろう。
 よい天候であり、富士山の中腹の山荘からの夜空は澄んでいて美しい。別れ際には「今宵は、銀河が濃くなりますね。」と、誰もが言う。楽しかった句会、虚子先生と連衆との別れが、いよいよ淋しく、別れ難く感じられた。

 NHKのカルチャーセンターの一年目の12月の句会後の会食で、けん二先生は、全員に短冊をくださった。私はこの句を頂いた。30年前の初心者の頃、難しい詠み方のように感じたことを覚えている。
 その後、けん二先生の虚子先生に対する深い思いがわかるにつれて、他の作品では感じられないほど抒情的な詠み方であることがわかってきた。

  師の小諸銀河流るる音の中 『日月』第6句集

 深見けん二論を、私は、「花鳥来」誌上で何度か試みたことがあるが、こうしてブログで一句一句書いていると、当時は掴みきれていないと思っていた部分に、今、新たに触れていくような気がしている。
 第6句集『日月』の終わりの方にある句だから、平成13年の頃であろう。『日月』には、〈先生は大きなお方龍の玉〉という有名な作品もある。深見けん二の句集には、虚子恋とも言うべき作品が必ず詠まれている。
 
 掲句は、「銀河流るる音の中」という宇宙大の音の響きが印象的だ。虚子が疎開し、終戦になってもしばらくは鎌倉に戻らずに居続けた「師の小諸」というのは、清澄な大地で、天の川の流れの音だって聞こえてきそうだ。
 誰にも聞こえる音ではない。深見けん二だけに聞こえる虚子への思いの音なのだろう。

  銀漢や胸に生涯師の一語 『蝶に会ふ』第7句集

 師の一語とは「花鳥諷詠」であり、昭和29年、千葉県鹿野山神野寺で行われ、深見けん二も参加した夏の稽古会で詠まれた〈明易や花鳥諷詠南無阿弥陀〉の一句のことであろう。その後、虚子を囲んでの「研究座談会」で、「花鳥諷詠」を叩き込まれたという。

 拙著『図説 俳句』の中で、私は、深見けん二インタビューのコーナーで「花鳥諷詠」に触れて、この句をどのように考えたらよいのかお聞きした。
 「人の命は明け易くはかないことです。しかし、花鳥、つまり季題に宿る力といいますか、命というものは宇宙と一つで極めて大きい、いや無限大と云えます。その季題の力を信じて、俳句を作れば、自分の力、人間の力を超えたものが俳句に宿る、つまりそうした俳句ができるという確信めいたものがあります。
 そのことによって、一と刻でも、救われる、安心を得られます。」と、答えてくださった。
 けん二先生にとって、俳句を作り続ける上で、俳句とは何かと考える時には、いつもこの句に立ち帰る生涯のテーマとなった句であるという。