第三百九夜 上野一孝の「龍の玉」の句

 長谷川櫂氏の編著書『現代俳句の鑑賞101』の中で、私は、初めて上野一孝さんの俳句にお目にかかった。そして25句の最後の、「龍の玉」の句に惹かれた。
 「龍の玉」と言えば、高浜虚子の〈龍の玉深く蔵すといふことを〉の句を思い出す。冬になると「竜の髭」を見つけると、わさわさ茂る葉をかき分けて、奥に、瑠璃色というか紺碧というか、深く青い竜の玉を探してみる。「龍の玉」とは「竜の髯の実」のことである。
 現在は「龍」は「竜」と表記するが、ここでは、作品に合わせて「龍の玉」とした。
 
 今宵は、上野一孝さんの作品を考えたいと思う。

  龍の玉雌伏のいまとおもふべし 『李白』

 冬の庭園などで、竜の髯の奥に蒼い玉を見つけ、転げ出た玉を手にとってみると、硬いほどである。宝石のような美しい色合いと、ちょっとやそっとではビクともしない硬さを、俳人は好むのであろうか。
 上野一孝さんは、龍の玉に、「雌伏」という今の自分を見た。実力を養いながら活躍の機会をじっと待っているという意味である。
 今は、まだ雌伏の時であると思って深く自らを見つめなさい、こつこつと力を溜めておきなさいと、龍の玉が教えてくれているように作者には思えた。この「雌伏」という言葉を授かったことがこの句の手柄であろう。
 そして、「龍の玉」が簡単には人目につくことのない奥深くに蔵されているからこそ、「雌伏」の意味するところを考えさせてくれたのだ。
 
  月の詩を李白にならへ酒もまた 『李白』

 唐の李白は「詩仙」、杜甫は「詩聖」と言われていることを思い出した。李白の酒の飲みっぷりは、泥酔していても何篇もの詩を書いたと言われるほどで、作品「山中与幽人対酌」の中に「一杯一杯復(また)一杯」という有名な文句がある。
 船の上で月見をしていた李白は、水に映った月をつかもうとして水に落ちたというエピソードもあるが、これも飲み過ぎてのこと。俳人も詩人も月が好きだから、満月の前後はそわそわして、どこで今宵の月見をしようかと考えている。
 
 句意は、月の俳句の詠み方も酒の飲み方も、李白に習いなさいということになろうか。後に「詩仙」と崇められるような名作を残すことができる俳人になればいいのだが、何百年に一人くらいであろう。

 上野一孝(うえの・いっこう)は、昭和33年(1958)、兵庫県姫路市生まれ。平成50年、森澄雄に師事、「杉」に投句を始める。平成59年、東京大学文学部国文科卒業。佛教大学大学院修士課程修了。駿台予備学校古文科講師。平成5年、「杉」同人、「杉」編集長となる。平成9年、第1句集『萬里』により杉賞受賞。平成17年、「杉」編集長を退任。句集は、『萬里』『李白』『迅速』、著書多数。